さくぶん、さくぶん。

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さくぶん、さくぶん。

 うちに小学校では、六年生の三学期に道徳の授業でとあるものを書かせるのが恒例となっている。  もうすぐ卒業式であることに関連付けて、“もうすぐ卒業したいと思っているもの、もしくは最近卒業したもの”をテーマに作文を作って貰うのだ。  これが、結構難しい。卒業したものや卒業したいもの、がとっさに思い浮かばない生徒も少なくないからだ。そして、思い浮かんだところで、それを原稿用紙二枚以上埋められる子はそう多くはないわけで。場合によっては、マス目を無視して大きな文字を書いて誤魔化してくる子も出るほどである。――六年生にもなってそんな馬鹿やる奴なんかと思う人もいるかもしれないが、小学校六年生の精神年齢なんて結構バラつきがあるものなのだ。ぶっちゃけ、中学生でも通用するくらい大人びた子から、幼稚園のお隣さんかと思うレベルの子もまでいるほど。何年も教師をやっている私はよく知っているのである。 「今年もこの時期が来たわけだけど」  そして、私は苦笑いしながら、目の前に座っている新人教師の高田先生に告げた。 「どう、高田先生の二組は?」 「はい、まあ……細川先生に言われた通りだったですね。まだ生徒の半分が提出してきてません」 「半分ならまだいいじゃない。うちの三組なんか、まだ三分の一しか出てないわよ。締切明日なのに」 「お、おうふ」  難しいお題であること、最後の集大成として書いてきてほしいこと。二枚以上埋める、という文字数の問題もあって、この宿題だけはなんと一カ月も猶予が設けられているものだったりする。しかも、ラスト一カ月の道徳の時間に、作文執筆のための時間が設けられている。要領の良い子は、授業の時間だけでさくっと書き上げてとっくに提出済みだった。そういう子は、余った授業時間に好きな本を読書していいよ、ということになっている。気楽なものだ。  対して、作文というものは得意な生徒と苦手な生徒が極端に別れるものでもある。得意な生徒は“何でこんなのに時間かかるの?”とさらさらさらーっと書き上げてくるし(中には授業中だけで十枚も書き上げてきた猛者もいるほどだ)、苦手な生徒は最初の一文字目から出てこないどころかタイトルさえ決まらない始末。理系の子や、理屈で文章を考えてしまう子ほど作文は苦手な傾向にあるだろう。  私も子供の頃は結構そのタイプだったので、気持ちはわからないでもない。はっきり言って今“卒業”で二枚も原稿用紙を埋めろと言われてできるかというとだいぶ自信がなかったりする。 「明日までに突貫工事でどうにかギリギリ書き上げてくる生徒が半数以上ってところでしょうね」  私は既に提出された一部の作文に目を通しながら言う。現在手元にある作文は、殆どが“作文が得意な子”が提出したものばかりだ。あるいは、得意ではないけれど締切前にちゃんと出しておこうという真面目な子である。そういう子ども達の作文はそんなにカオスな内容にはならない。面白みのない硬い文章であることも少なくはないが、字が極端に汚い子も少ないし読みやすい傾向にある。  問題は、明日以降にラッシュで飛び込み提出してくる子達と、締切破りの常習犯があとで渋々出してくるやつだ。
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