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先ほど言った、“マス目を無視して字を大きく書いて誤魔化してくる”タイプは、間違いなくこの中に含まれている。というか、既にやらかしそうな男子数人に心当たりがあるのがつらい。さすがにそういう作文にまともな点数をつけるわけにもいかず、生徒も呼び出してきちんとお説教しなければいけないからだ。
単純に文字数が足らないだけ、なら正直自分達も多目に見る。というか、このお題は厳しいことを承知で文字数下限を引き上げているのだ。長く文字数を稼がなければいけない状態で、どうやって工夫をしてくるか。発想力や、自分で調べてきた内容(手書きの作文ではあるが、家に持ち帰ってネットで何かを調査して組み込んでもいいことになっている)で補うことができるのかも見ている。単に、卒業に対する気合や思い入れを見るための代物ではないのだ。
小学校を卒業したら私立の中学校に行く生徒もいるし、そうでなくても文章を書く機会というものは増える。中学校はまだ義務教育だから留年はないが、それでも“本来あるべきルールを誤魔化してどうにか切り抜けよう”という姑息な手段が通じる場面は少なくなってくるだろう。ゆえに、その前に小学校できっちりと作業時間の配分や工夫、そのための手段を最後に叩きこんでおこうというのがこの作文の狙いなのである。明確なルール違反を放置しておいては、こんな面倒なことをやらせる意味がないのだ。
「私は何度も六年生の担任やってるから、そりゃいろいろ知ってるわけよ。六年生って大人っぽいように見えて本当にピンキリだから」
「まあ、それもそうですよね。高校生になってもまだ小学生のお隣みたいな子も時々いるくらいですし」
「そうそう。私達だって鬼じゃないんだし、真面目に一生懸命書いてきたのが伝わればそれなりに評価するんだけどね……」
提出された作文は全て、誤字脱字などをチェックした上で内容の感想を書いて見えないところで点数をつけ、その後返却することになっている。今私が読んでいるのは、クラスでも三本指に入るくらい作文が得意な少女のものだった。
『私は、子供を卒業したいです。あれもこれも、お父さんやお母さんにやってもらうんじゃなくて、自分自身でできるようになります。例えば、そろそろ新しい料理が作れるようになろうと思っています』
内容は非常にオーソドックス、かつ真面目なものだった。それでも家族を助けるために、少しでも“大人”になろうと奮闘している様が見えるようでほっこりさせられるのは事実である。
なんとも微笑ましい。見ているこちらもほっこりしてしまう。
――卒業か。……私が作文書くんだとしたら、何をテーマに書くのかしらね。
自分が小学校を卒業したのは、もう四十年以上昔のことだ。
当時に立ち返って想像してみようとしたが、思い出せるのは優秀な姉に拝み倒してかわりに宿題をやってもらおうとしてばかりという残念な記憶ばかりである。
頭も悪ければ運動神経も悪く、お転婆で男の子と虫取りばっかりしていたような少女だった自分が、今では小学校の先生をやっているのだ。人生とは、なかなか読めないものである。
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