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それから数日が経った。失職中の私は就活に取り組む気にもなれず、平日の昼間から洋服の散らかったベッドで胡坐をかいていた。
シュークリームを頬張り、指にこぼれた生クリームを舐めとっていると、テーブルのスマホの呼び出し音が鳴った。
また、借金返済の催促?
うんざりしながら、唾液が乾ききらない手で取り上げて画面を確認する。発信者は例の結婚相談所の責任者だった。
『当社のマッチングプログラムが、早速一人のお相手を抽出いたしました。先方にお伝えしますと是非お会いしたいとのことですが、いかがなさいますか?』
私は口元に溢れた生クリームを舌で絡めとった。
***
先方が予約したのは市内の高級レストランだった。胸元がざっくり開いた赤いドレスで待っていると、颯爽とその男は現れた。値の張りそうなスーツを着こなし、艶のある黒髪を後ろに撫でつけている。彫の深い目元、厚い唇、不潔にならない程度に整えられた顎鬚。
第一印象は合格だ。私は頭に描いた評価表の容姿欄に丸をつけた。
「遅くなってすいません。急患が運び込まれたものですから」
そういうと、男はウェイターに二人分のワインを注文し、何語かわかない料理名をメニュー表も見ずにオーダーした。運ばれたワインで乾杯する。男の所作はうっとりするほど洗練されていた。
「まあすごい。吉見さんて、お医者様でいらっしゃいますのね」
「いやあ、大したことはありませんよ。ただのしがない勤務医です」
話によると、吉見は市内の大学病院に勤務する脳神経外科医だそうだ。年齢は38歳。今は臨床に励みながら、着々と研究活動でも実績を重ねているらしい。ということは…、いずれは教授様!?
「まあ、そう簡単に大学病院で出世なんて出来ませんからね。今はとりあえず研究の成果を出すために精一杯というところです」
私は頬杖をついて45度に頭部を傾けると、とろんとした瞳を吉見に向けた。胸元の谷間を強調することも忘れない。ほどなくしてテーブルの上に料理が次々と並べられた。どれも上品で、色鮮やか。何より高そうだ。「さ、遠慮なく」と言ってナイフとフォークを滑らかに操って吉見が料理を口に運んでいく。私も吉見に続いた。
吉見の話によると、臨床と研究で多忙を極める生活に埋没するうちに、恋愛する機会を逸してしまったのだという。40歳を目前にして独り身でいることに漠とした不安を覚え、婚活を始めることにしたらしい。
私は注がれるワインを次々と空けていった。自分でもハイペースなのは分かっていたが、飲まないことには興奮を沈めることが出来なかった。
私たちは、お互いの紹介と他愛のない世間話に花を咲かせた。吉見はさすが医者というだけあって、物知りで話がうまく、聞き上手でもあった。何でもない世間話の隙間に、私は用意しておいた質問を周到に忍び込ませた。
ご兄弟は? 年収は? お住まいは? 車は……
吉見の返答はどれも完璧だった。私の頭の評価表はすべて赤い花丸で塗り尽くされた。
十分に酔いが回ったところで、吉見の手が伸びて私の手の甲に触れる。
「鈴木さん、あなたは正に僕の理想の人だ。今夜はずっと一緒にいたい」
吉見の告白に私は内心ほくそ笑む。既成事実を作って結婚まで一足飛びに漕ぎ着けたいのは私のほうだ。返答する代わりに、私はただ少女のような無垢な頷きを返した。
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