第一章 一瞬

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 この歳になってか。笑える。そう言えば、水分補給をするのを忘れていた。営業先から別の営業先に行く時に、少し休憩を挟めばよかった。一刻も早く営業を終わらせて会社に戻りたい気持ちが強すぎたせいで、すっかり水分を取ることを忘れていた。そんな言い訳になんてならないけど。自業自得だ、馬鹿野郎。 「大丈夫ですか!?」  少し低めの声が陽太に降り注ぐ。バンッと何かが閉まる音がして、誰かがこちらに近づく音がした。 「大丈夫ですか? 立てますか?」  女の声。でも顔ははっきりと分からない。それくらい視界は朧気になっていて、おまけに逆光のせいでよく顔を識別できなかった。 「店長、この人熱中症かもしれません。すぐに家に運びましょう。場合によっては救急車呼ぶかもです」 「うん、分かった」  店長と呼ばれた男は陽太に近づくと、女と一緒に陽太を持ち上げてどこかに運んだ。建物の中に入ったのだろう。すぐに全身の熱気が冷気で冷まされた。 「失礼します」  床に下ろされると、女はワイシャツのボタンを数個外す。それから騒がしい足音で行ったり来たりした。ヒヤッと冷たいものが当てられ、すぐに保冷剤であることが分かる。 「飲めますか?」  女は陽太の体を起こし、水の入ったペットボトルを渡した。陽太はそれを受け取ると、力を振り絞りながら水を飲む。生き返るのが分かった。カラカラになっていた喉が水ですぐに潤される。 「大分顔色も良いな……このまま少し休んでください」  陽太は女に支えられながらまた横たわると、こくりと頷いた。女が去っていくのが足音で分かる。
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