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プロローグは鮮やかに
千紘が泣いている。
まるで色彩を強制されたかのような、灰色の瞳で泣いている。おれの手をすり抜けた千紘が、夕暮れの校舎に吸い込まれていく。
離れていく背中を見つめながら、美術室から漏れる会話を思い出していた。
相良識の柔らかくもどこか影のある声。
そして、一生懸命に受け答えをする千紘の細い声。その二つが頭の中で再生されると、握った拳に力が入った。そういえば、職員室で相良識が結婚すると知った時も、手のひら握っていたと思う。
「彼女とは大学時代からの付き合いで、両親とも面識があるんですけど‥‥結婚したら果樹園を手伝うよう言われてて‥‥」
おめでとうございます、の華やかな拍手の中心で、相良識は頭を掻きながら言った。
おれは幸せそうな顔を前に、心の中で舌打ちする。結婚を前提とした彼女がいながら、千紘に手を出したやつが作った果物なんて、死んでも食べたくなかった。
嫌悪すると同時に怒りの念を送っていると、なぜか相良識が振り向いた。こちらを真っ直ぐに見据える瞳は、理性的で冷たく、少し魔性的にも見える光を放っている。
この瞳は、おれの知らない千紘の姿をたくさん映してきた。と、嫉妬を覚えるのと同時に、おれは相良識へ向けて視線を返す。
あなたは、本当に千紘を愛していたんですか。
どんな覚悟で男を抱いたんですか。いや、そもそも千紘を受け入れる覚悟があったんですか。自分に向けられた好意を弄んだことに罪悪感はないんですか。
おれは、千紘を傷付けるあなたが嫌いです。だから、あなたの考えを全力で否定します。
目が合った一瞬の短さゆえなのか、二人の時間が止まったように感じた。そして今おれたちは、視線を通して腹の中を探り合っている。少し上がった口角を見れば一目瞭然だった。
相良識はおれが千紘に抱いてる感情を知っていて、わざと視線をぶつけてきたのだろう。だからおれは目を逸らさない。こいつにだけは負けたくないと思った。
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