ミイラの転生

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ミイラの転生

「よかった…………本当に…………よかったぁ」  安堵を吐き出すように、血走った目の女性が涙を浮かべて言った。  その傍らでは女の肩を抱く男性。  やつれた頬が、こちらも痛々しい。  多分、知ってる人。  なんでだか、今は名前が出てこないけど……  私は、家族と別荘に遊びに来ていて、火事に巻き込まれた。  かなり古い屋敷のため、老朽化の漏電が疑われたが、死者も出ているため、事故と事件、両方で捜査が進められる予定だったのが、お爺さまの鶴の一声で、漏電による事故で処理された。  本人もベッドでいろんな管に繋がれて寝たきり状態なのに、未だにいろんなところに顔が利くらしい。  五十を過ぎたお父さまを、いつまでも子供扱いしている。 「風が強くなってきたから、窓を閉めましょうね」  スイートルームみたいな病室で付添看護師もいるのに、意識が戻ってから毎日やってくる母に、ぐるりと目の玉だけを動かした。  事故当時、頭を強く打ったらしく、記憶喪失のような症状が現れたけれど、日が経つにつれて少しずつだが、いろんなことを思い出しつつある。  目が覚めた時の血走った目で覗き込んできたのが母で、やつれ切った顔をしていたのが、お父さま。  お父さまは相変わらず忙しい人なので、あれから来てくれない。  母が言うには、私が寝ている時に来てると言っているが、本当はどうだろう。  顔にひどい火傷をおって、目と鼻と口以外は包帯グルグル巻きでミイラみたいだ。母は「日本一のお医者様に頼んだから、痕なんて残らないわよ」と私を元気づけたが、いったい、いくら払ったのだろう。  声も火事の熱波を吸い込んでしまったためなのか、上手く喋れない。筆談もまだ指が動かないから無理。  本当に、ミイラになった気分。 (強い風、痛くても感じたかったな……)   「杉浦親子は残念だったわね」  広過ぎる病室の、立派なソファから、母の声がした。  私は声の方に寝返りを打って、そうっと観察。 「娘に折り重なるようにして、倒れていたんですって?」  母の友人と名乗る。病室には似つかわしくない派手な格好の女と、コソコソと噂話をしているようだ。 「娘だけでも助けたかったんでしょう、お気の毒」 「ほとんど、炭だったんでしょう?」 「やめてよ、思い出すじゃない」  瀕死で救出された娘の病室で、わちゃわちゃと何を話しているんだ。  軽薄な母の友人は、尚も続ける。 「……ねっ、あなた昔、結婚する前に、言ってなかった?別荘の管理人の娘が、あやしいって?」 「っどんだけ前の話をしてるのよ!何でもなかったわ。ただのマリッジブルーよ」  母が飲み物を吹き出す勢いで言った。 「そう?じゃあ別荘はどうするの」 「お義父さまのお気に入りだし、半壊状態のままだから、建て直すのかと思ったの、でも、今回は主人が『更地にして売りに出す。そろそろ税金のことも考えろ』って強気でね。お義父さまにもしぶしぶながら納得していただいたわ」 「あら、政権交代!」 「どうかしら、いづみも回復して、長い長い南雲家の嫁生活も卒業出来たら、……旅行にでも行きたいわね」  母は窓に向かって遠い目をしていた。  数週間が経って、物言わぬ私に飽きたのか、母のお見舞い回数が減った。  ミイラ状態だった包帯は簡易な物に交換されて、明日からはリハビリが始まる。  その夜、お父さまが人目を忍ぶように現れた。  私は、気配を感じてむくっと上半身を起こして、お父さまへ向き直した。 「……お前は、どこまで知っている?」  まだ頬がやつれている。  白髪も増えたのかしら。  不安気で、か細い声。 「……お父さまは……どこまで……知っているの?」  久しぶりに声を出した。  ガラガラで、たどたどしくて、きっと聞き取りづらいだろう。  お父さまが上着の内ポケットから、便箋を出して私の目の前に置いた。  月明りでも読める、懐かしい癖のある文字。  お父さま宛の、お母さんの遺書だった。 「……この内容は、本当なんだ…………な」  私はゆっくりと、お母さんの文字を指でなぞりながら、嚙み締めるように読んだ。途中で、今まで我慢していた涙が一筋流れると、ダムが崩壊したかように、止まらなくなった。涙で読み進めなくなり、何度も手の甲で目をこすった。 「……病気……だったのは……知りません……でした」  余命宣告されたお母さんは、恐ろしい計画を実行してしまいました。  別荘に遊びに来ていた、いづみお嬢様に睡眠薬を飲ませて、私と服を交換し、お屋敷に火をつけてしまったのです。 「……信じては……もらえないかも……知れないけど……お母さんが、服を……交換しろ……と言われるまで……気づかなかった」  私は抵抗して、お母さんに思いとどまるように説得した。だが、隙を突かれ頭を殴られ意識がなくなり、気がついたら病院のベッドの上だった。  お父さまは黙って聞いてる。  お母さんの遺書には、お父さまに対する恨みごとは一行も書いていない。  お父さまとお母さんは幼馴染みで、ずっと愛し合っていた。それをお爺さまに見つかり、お母さんは別の男と結婚させられ、お父さまも裕福で利用価値のある今の母と結婚した。でも、それでも、隠れて二人は関係を続けていた。  戸籍上の父は私が産まれると、すぐ別の女性と駆け落ちしてしまったそうだ。顔も覚えられなかった父も、愛のない結婚の犠牲者だったのだろう。  遺書の内容は私の行く末ばかり、熱心にお父さまに頼んでいる。  はぁ……やっと、やっと泣けた。  本当のことが言えた。  泣き疲れて、涙も涸れて、今は、魂が抜けたように、ぼうっと放心している。  お父さまも腕を組んだまま動かない。  だが、視線は私の顔全体をじっと見ていた。あちこちにガーゼを貼った、傷だらけの「いづみ」の顔を――  長い沈黙の後、 「……お前はこれから……どうしたい?」  絞り出すように、お父さまが尋ねる。 「私に……選択の余地が……ある?」  私は顔のガーゼを撫でた。  何故か笑いそうになるのを、我慢しているのに、 「そうだなっ」  お父さまが先にくくっと笑った。    ――今日から私は南雲いづみ。愛人の娘が本妻の娘になった――
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