鬼の心臓

3/3
前へ
/13ページ
次へ
「大事なものは、ひとつでいいんだ。」 瞳の光はいつもと同じく迷いが無かった。それだけが真実と疑わない強い光は、しかし酷く寂しげに細められた。 悲しげな表情が離れて行くのを、スローモーションのように感じた。それは今生の別れのようで、直感的に恭介は、彼と二度と会えないと思った。ふわりと髪が揺れて、彼が星の瞳を伏せる。 その、前に。 恭介は迷わず地面を蹴った。 そのまま驚いて目を見開く雅楽の腕を空中で掴んで、自分の胸元に引き寄せる。しっかり抱え込んでから、着地点を見据えたまま、彼は笑った。 「ひとつも何も」 煙草を吸わない理由と同じくらいあっけらかんとした声音で、しかし決意を含んだ声だった。 ​───────それは、彼が初めて神様に、聞かせようとする強い口調だ。 「俺にはずっと、あんただけだ!!!」 足を下に向けて、着地に備えて足を軽く曲げる。全速力で駆けてきていた四ツ谷が地点の位置に着くのと、部屋が大きな音を立ててもう一度爆発するのと、二人がコンクリートの上に転がったのはほぼ同時だった。鈍い音を立てて転がった二人は、上手く衝撃を逃したお陰でかすり傷だらけだが無事だった。 その時、五木から殲滅完了と仲間全員の生存確認完了の報告が来て、大きく肩で息をしていた四ツ谷が安心したようにへたり込む。それと同じタイミングで、一緒に転がったままだった恭介はガバッと顔を上げた。 それは黒いオーラが後ろから見えそうな凶悪な凄い形相だったので、雅楽は何を言われても受け入れようと観念してバツが悪そうに眉を困らせた。 ​───────しかし彼は、大きく大きく息を吐いて、それから強く雅楽を抱き締めた。 「……きょう、すけ。」 「わかってるだろうが、四ツ谷が、あと1歩でも遅れてたらあんたは死んでた。」 抱き締めたままの耳元で、いつもより一層ボソボソした声で、恭介は言い切った。それからまた息を大きく吸って、吐くのと同時に、心が零れたようにぽつりと呟く。 「俺を殺すあんたは、生きてなきゃダメだろ……」 呆れたような口調のそれは、雅楽には心底大切だと言われているように感じて、尚更困惑した。それに気がついている恭介が心配を顕にしながら眉を寄せて雅楽を見る。 「……だってお前は、」 沈黙に耐えられなかった雅楽が、渋々と口を開く。 「もう、僕のものでは無いから……」 「はァ?」 意味が分からない恭介が思わずそう口に出すと、雅楽は我慢の限界という風にキッと恭介を見た。彼には分からなかった。最愛の相手ができてすら、己に命をかける恭介の真髄が。なのに自分ばかり悪いように言われては癪だ。彼は盗み聞きした事を謝る覚悟をしながら、大きくはっきり不満げに言った。 「知ってるんだぞ!君には、恋人がいるんだろ!!!なら僕だけ守ってる訳には行かない!!交際している相手を優先すべきなのは常識じゃないか!!!」 「こ、い、びと……??」 ぽかんとする恭介に、頬を膨らませてみせていた雅楽はなんだか肩透かしを食らった気分になる。もっと慌てたり、驚いたりすると思っていたのに。 と、その時。首を傾げる二人の後ろで座り込んでいた四ツ谷が、急に叫び声を上げた。 「きょーちゃん!!!聞かれたんだ!溜まり場の!!!」 「「あれ??」」 首を傾げた雅楽と恭介と報告に来ていた五木を見て、目を輝かせたまま四ツ谷ははっきりと、必要以上の大声で言った。 「あんたが誘い断る時に使う、ジョークだよ!!!」 その言葉に。 雅楽は素晴らしくキレる頭で答えを導き出し、青くなった後に赤くなった。一方恭介は合点がいったように晴れやかに手を打った後にハッとして雅楽を見た。 「だって、恋人がいる、って、……あ、」 「ああーー!!……って、あんた、まさか、それで、」 「っっっっっっ!!!!!」 雅楽が口元を戦慄かせて、おもむろに恭介の腕を掴んだ。その掴み方は、柔道でよく見る袖の掴み方で。同時に、現状にパニックな四ツ谷が悲鳴のような声で叫んだ。 「えーーーー隊長ヤキモチ焼いてたってことじゃん!?!?!?」 綺麗な一本背負いだった。恭介は放心状態のままぶん投げられて、させるがままに地面に転がった。恭介を見下ろす雅楽の顔は、相変わらず真っ赤だ。 彼は真っ赤な顔のまま、恭介に向かってビッと人差し指を突きつけた。 「なんでもない相手を勝手に恋人に仕立て上げるなんて、立派な侮辱行為だぞ!!!ましてや、部隊の隊長を……っ!!!」 ​───────その場の全員が思った。これは、半分以上八つ当たりである。 「ぜっっっったいに許さないからな!!!!」 自覚があるのか、そう言い捨てて雅楽は勢いよく走っていってしまった。すぐに消えた背中の方を眺めながら、恭介は未だに脳内の整理がつかずにいた。 いつだって自負する程に完璧で、眩いくらいに輝いていて、誰の手にも届かない、神話のような、神様とは彼のような人の事を言うのだと、俺は本気でそう思っていて、同じ人種だなんて初っ端から思っちゃいなくて。 だが、彼は。 ​───────俺の言葉に勘違いして傷ついて頬を膨らませて挙句逆ギレして逃げた、彼は。 空は恭介を馬鹿にするかのように雲一つない晴天だった。彼ははさっきの雅楽の真っ赤に染まった顔で頭をいっぱいにしたまま、呟いた。 「……あいつ、……人間、だったのか……」 雅楽に投げられた格好のまま今更顔を赤くする恭介に、一拍遅れて言葉を拾った四ツ谷が「はあ!?」とまたもや素っ頓狂な声をあげた。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加