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糸を辿る
今日とて、革靴を鳴らす景気の良い足音が廊下を制す。足音は1人分、……そして今、本当に神原雅楽は一人で行動していた。
いつも後ろに控えさせている愛犬は重度の愛煙家で、しかし神様の前では吸わないという謎ルールを貫き通して来た男だった。彼が煙草を嗜むのは、二人が『檻』に居る時だ。そして今まで雅楽は大量の書類整理に追われており、暇を持て余した愛犬が肺を汚しに出かけたのはごく当然のシチュエーションだった。
どうしても気分転換がしたくて部屋を飛び出した雅楽は、いつも恭介が煙草を吸うベランダから、楽しげな笑い声が聞こえて来るのを耳にした。
「はは、意味わかんねえー」
「うっさいわメガネ!」
喫煙仲間の四ツ谷と恭介が話しているらしい。耳聡い雅楽は任務でもそんなに全力でやらない程に(雅楽は司令塔だからそこまで体を張る仕事はしない)気配を消して近づいた。それは書類に頭を悩ませる自分の影で楽しそうな二人への嫌がらせでもあり、書類整理の鬱憤を晴らす当たり所を見つけたいたずら心でもあった。
そろり、そろりと近づいて、あと3歩で脅かそうという時、
二人の会話がクリアに耳に入った。
「ま、あんたは面子から外しとくよ。」
「俺には可愛い恋人がいるからなあ。」
「……へ、」
親愛なる忠実な愛犬から聞こえた言葉は、紛れもなく『恋人』という四文字だった。
予想外の出来事に固まる雅楽を置いて、二人の会話は続く。
「ちょっと前まで一匹狼です〜みたいな顔してたくせにね〜」
「隠してただけで割と長いからな?」
にやりと笑った彼が心無しか愛しげに自分の携帯端末を見た。それを四ツ谷も否定せず、ほんと一途よねえ、なんて、知らないのは自分だけだったのかと泡を食う。
……ずっとこちらを見ていると思っていた。
彼の『神様』であることに安心していて、『神様』だからこそそのカテゴリーに属せないことがすっかり抜けてしまっていた。しかも彼は、『神様』の前では煙草を吸わない。自分だけに隠している面があったとて、何も不思議では無いのだ。
驚く程にストンとはまる話で、雅楽の回転の早い脳はすんなりとその事実を受け入れた。しかし感情の方は、グツグツと小さく煮立つような嫌な感じが腹に渦巻いて、なんだか酷く惨めな気持ちになってしまった。
─────分かっていただろう。彼が優しく頬を撫でるのは、自分を信仰しているからで、口付けを落とすのは、僕の熱を発散させる為の動作に過ぎないのだと。
「うちはもう満員だからな。仏さん、入る隙間もねえよ。」
恭介の揶揄うような口調が考え込んでいた雅楽の耳に刺さってハッとした。自分と恋人の掛け持ちになってしまったせいで、彼はいっぱいいっぱいらしい。仏様も入れないくらいに。それを聞いて、胸がぎゅっと痛んだ。
彼の懐は、一人分の隙間しか無い。自分が危険に陥った時、彼の恋人が危機となった時、枷となるのは、もう一方の存在なのだ。
「そうか、」
あの鋭い目つきを柔らかくするのも、ため息をつこうと面倒くさがろうと離れないのも、砕けた口調の低い声も。
「僕だけのものでは、なかったのか。」
それがこんなに悲しい理由が論理的じゃなくて、何故かすごく切なかった。驚かそうと思っていた手を下ろして、踵を返す。日なたで煙草を片手に笑う彼が、まるで知らない人のようだった。
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