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「はい! 注目!!」
病院の前に集められた若き看護学生が、先輩看護師の方に一列に向き直る。
その姿はまるで軍隊だと、一人ごちる私はきっと隊列にうっかり組み込まれてしまった囚人だ。
自我をなくし、統制の取れた人間歯車の一部。けれど片や国を守るお偉いさんで、片や罪を犯したお馬鹿さんなのだから。
周囲に気づかれない程度に殺した呼吸で、胸のどよめきを吐き出す。
時々、この空気が息苦しくなることがあるのだ。
誰しもが空気の読みあいの中で、常に自分を殺し歯車の一部となれるように日々奮闘している。そこにあるのは夢であったり、その先につかめるだろう金であったりするのだろうが、目下見えるのは騙し掛け合い、そして異物を排除するだけの流れ作業だ。
ぐっと手のひらに爪を立てる。
あぁ、ダメだ。あまりこんなことは深く考えない方が良い。考えたら鬱になる。
そうだ。大体において、たとえ軍人であろうと囚人であろうと、一つの歯車として存在をしている限りは問題なく世界は回っていくのだ。その中であえて異物を表明し、排除の選別作業に選ばれなくても良いのだ。
「今日は車いす実習を行います。まず4人一組になって」
指示と共に、互いに走る目くばせ。嫌な空気だ。
暗黙の了解で成り立つこの空間で、そしてまるで自然に、ただし決定的な交友関係でグループは分けられていく。そうして私もまた、歯車の一部として自然なグループ分けの中に組み込まれる。
特段仲がいい相手ではないが、なんとなく共に過ごしている存在。
そんな彼女らと共に、続けられる説明を聞く。
今日の車いす実習は、階段の昇降だ。と言っても、一段一段を押していくわけではない。せいぜいが一段程度の段差。あっても二段程度の物だ。それらを交代しながら互いに患者と看護師になり、乗り越えるのが今日の実習だ。
ぼんやりと各グループに与えられた車いすを眺める。
見れば見るほど段差には向いていない形態だと言っていい。
大きな車輪も、妙に大きな動く椅子といった体裁も、とてもではないが段差を上るのにはまるで向いていない。そう、決められた地べたを這うことに特化した――役割を定められ、尊ばれると同時にそこから動けない私のような。
「〇〇さん、次乗ってください」
同グループの人間から掛けられた声に、はっと意識が現実に戻る。
いけない。ついぼんやりとしてしまっていた。こんな場面を見られたり気づかれたりした日には……と、周囲をついうかがってしまうが、幸いにして気づかれていなかったようだ。
ほっと胸をなでおろし、車いすに乗り込む。固くも柔らかくもない座面に腰を下ろせば、妙に視線の位置が下がり落ち着かない。そのまましっかりと手すりを持ち、フットレストに足を置けば準備は完了だ。
すぐ後ろに立つ押す係りの人間に声をかければ、機械のような応答と共に車いすは動かされる。そして指定された段差へと――
「っん!?」
ぐっとティッピングレバーが踏まれて、車いすの前輪が持ち上がる。
いや、その方法は知っている。やり方だって知っている。何度だってあの軍事施設のような看護学校で勉強をした。だが初めて車いすに乗って前輪の持ち上げられる感覚は、確かに平面の世界とは「違った」。
これまで車いすは2次元の世界でしかなかった。平面で地を這う。定められた役割をこなすだけの存在。決められた歯車の中で統制された物。
それが今、地を浮いている。
だがそれだけでは終わらない。続いて浮いた前輪は、段差の上へと載せられる。そのままぐっと持ち上げて押し込められれば、あっという間に車いすは段差を乗り越えた。
時間にしてあっというまだったとは思う。なんなら相手の人間は手際が良すぎて、何がなんだか分からない内に終わってしまった感がある。だからこそ、この胸の高鳴りも一瞬が過ぎて、いまだ意識が追い付いていないのかもしれない。
なんて簡単なのだろう。それでいて、なんて一人では無力なのだろう。車いすとは。
介助を受ければ、容易に乗り越えられた段差。けれど一人では決してできはしないことを併せ持つ存在。
私もまたこの監獄のような軍隊を、乗り越えられないだろうか。
一人では超えられない段差のように、誰かと、一緒に。
[終]
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