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8『銀河鉄道の夜』(第五夜)
◆「賢治の『四次』って何でしょうね(3)
賢治は最愛の妹トシの死(1922年)を受け入れることができないまま、翌年に樺太旅行をします。これは当時農学校の教諭をしていた賢治にとっては、教え子の就職斡旋が主たる目的でした。
しかし同時に、この賢治の旅行は、どうやら、亡くなったトシの魂との「通信」を求める行動でもあったようなのです。
この点につき、ある研究者の論考は、精神科医の挙げる同様の報告例や、樺太旅行において書かれた賢治の「挽歌群」その他の作品を、右行動の根拠として挙げています。
なるほど、それもありかな……とも思います。確かに賢治は、船の甲板に夜通し立ち続け(賢治の詩『青森挽歌』参照)、もし甲板上でトシに呼ばれたら、自らも海に落ちようという覚悟さえしていたようです(賢治の詩『宗谷挽歌』参照)。
たまらなく悲痛です。しかし実は私にとって、ここで重要なのは、まずこの樺太行きが賢治にとって、特別に大切な旅であったということなのです。
そして次に、『科学者としての宮沢賢治』(斎藤文一著)、及び『宮沢賢治「銀河鉄道」への旅』(萩原昌好著)などの先行研究において、以下のことが指摘されているということに私は着目するのです。
すなわち、驚くべきことに、この樺太旅行の「汽車の時刻表」が、「銀河鉄道の時刻表」と、一枚の絵のように重なり合う!
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