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本当の再会
『通常は透明なカプセルに入れて保管してください。数十分なら取り出して観賞できます。ふれることも可能です』
添付されていたたった一枚の説明書を読み終わるとすぐ、翼はカプセルのスイッチを押した。無機質な音を響かせ、カプセルのウィンドウが開く。
「晴翔……」
晴翔は白いシャツを着て、ジーンズを履いていた。ふたりで遊んでいたときと同じ格好だった。
力が抜けている晴翔の体を起こそうとした。生きている重みを腕に感じた。
しかし、温もりはない。
「晴翔、晴翔」
翼は晴翔を抱きしめた。
いくら親友とはいえ、晴翔を抱きしめたことはない。
ふたりで確認した高校合格発表の瞬間。ともに汗を流したバスケットボールの試合のとき。腕に抱き込める機会はいくらでもあった。
けれど、翼にはできなかった。
ふれあった体を通して、自分の想いが知られるような気がしていたからだった。
また会えるとは思わなかった。でもこれは本当の再会ではない。
「晴翔……待ってろよ。ちゃんと目覚めさせてやるからな。何年かかっても」
翼は、高校生の頃に使っていたスマホの画面をスクロールさせる。目の前にいる美容師に画像を見せた。
「このヘアスタイルにしてください」
「承知しました。あれ、このヒューマンの写真ですね」
「ええ、起きていた頃の写真です。十年くらい前の」
美容師は散髪の準備をはじめた。
椅子に座り目を閉じる晴翔に、ケープがかけられる。動かない晴翔の髪がカットされていく。
ソファに座り、ネクタイをゆるめながら、翼は美容師の作業を見つめた。
出張カットの予約がなかなか取れず、仕事を早く切り上げなくてはいけなかった。
「こんな綺麗なヒューマンはかわいくしたいですよねー。あ、でも、体くらいはお客さまが洗いますよね?」
「そんなこと、できませんよ」
晴翔の体を洗うときは、どんなことでも請け負うサービスに頼んでいた。
「そうなんですか? ヒューマンは裸にできる人間だから、ペットよりも興奮するっていうヤバい方もいるみたいですよー。ははは」
翼は笑わなかった。
美容師が帰ると、翼は晴翔の前に跪いた。
「また綺麗って言われちゃったな、晴翔」
晴翔を買ってくれた祖父は、もうこの世にはいない。祖父が亡くなって間もなく、翼は晴翔を連れて家を出た。毎晩、部屋で眠る晴翔に話しかける翼を、母は冷めた目で見ていた。
晴翔の両親も、とうに天国に旅立っていた。ふたりは晴翔が眠った数週間後に自動車事故に遭ったと、コールドスリープショップのスタッフから言われた。晴翔が売られていたのは、彼を引き取る親族がいなかったかららしい。
翼は晴翔の手に指をからめた。
「晴翔、晴翔……」
何度も何度も、愛しい人の名を呼びながら、手を握る。
初めて晴翔を抱きしめた日。あのときから、晴翔はなにひとつ変わっていなかった。
晴翔があたたかくなるまで、翼は手を離さなかった。晴翔の手を胸に抱き、ひたすら温もりを与えた。
翼は膝立ちになり、晴翔を抱きしめた。
「晴翔、ごめんな。他の奴らに体さわらせちゃって。でも、俺がおまえの素肌にふれるのは……もっとつらいだろ、晴翔?」
翼は晴翔の頬に自らの頬を寄せた。
ひんやりとした晴翔の頬に、翼の熱い涙が伝う。
「晴翔って……どんな声だっけ。どんな声で、俺を呼んでくれたかなあ……晴翔、晴翔」
銀座のコールドスリープショップには、翼の他に客はいない。陳列されているヒューマンもいない。
翼が晴翔を見つけた日から二十年余りが経った。冷凍睡眠させる親も、放棄する親も、すっかりいなくなっていた。
翼は腕時計を見た。そろそろ時間だ。翼は店の奥の解凍室に向かった。晴翔がスタッフに助けられて、ベッドから体を起こしている。
「晴翔……おはよう」
「翼……」
晴翔は幾度か瞬きをすると、はらはらと涙をこぼした。
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