第十七章『当主、怒髪天を衝く 前編』

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 玉彦は暫し眺めてから蓋を閉じて、自分の前に置く。  こちらで処分しておく、という意思の表れだ。  緒方さんは澄彦さんと玉彦を見渡してから、腕を組んで顎をしゃくった。 「依頼人たちが言うには髪は代表の、爪はそこに住む信者たちのらしい」  在宅信者に小箱を渡すなら代表の爪だけだと数が足りなさ過ぎたのだろう。  でも何となく、代表の男性は切られても痛くも痒くもない髪は自分で、絶対痛い思いをする爪は信者に押し付けたんだと思う。 「どうして爪は信者の?」  私が聞くと緒方さんは両眉を上げた。 「家に住んでる信者は人間ランクが高いから、らしい」 「だったら代表のでも良くないですか?」 「代表の爪だと霊験あらたか過ぎて扱いが難しいんだってよ。髪なら本数で調整できるんだと」 「だったら髪だけでいいのに」 「違いねぇ!」  ハッハッハッと笑った緒方さんだったけれど、すぐに顔を引き締め真っ直ぐに澄彦さんを見つめた。 「西は動くぞ。蘇芳もだ。コイツのとこにも先週信者が来たらしい。東はどうする。舐められたままで良いのか?」  澄彦さんは返事をせずに煙草を咥えて火を点けると、ぶはぁと紫煙を吐き出す。 「おれが思うに崩え彦の噂を立てたのは奴らで間違いねぇと思ってる。まぁおめぇんとこの噂を消すのはついでになるが、西が動いて後から自分たちで動いたものをって言われんのが面倒だから断りを入れに来たんだ、今日は。どうすんだ?」  澄彦さんはそれでも無表情で緒方さんを見つめ、そして緒方さんは目を伏せた。  二人の間で無言のやり取りがあったけれど、私には彼らが何を目で会話したのか解らなかった。  緒方さんは伏せた目を玉彦の膝元にあった小箱へ流し、唇を引き結んだ。 「あの箱は蘇芳のとこに持ち込まれたもんだが。おれのとこには十程持ち込まれてる。中には米粒二つにもならねぇくらいの爪もあったのよ。薄い爪なぁ。つるっとしたやつもあったが、噛んでガタガタになったちっさい爪を見たらよ。人として放って置けんだろうが。のう? 子は宝だぞ」  澄彦さんはそれを聞いても無表情で、煙草を灰皿に押し付けると無言で座敷を出て行ってしまったのだった。  あとから考えれば、この時澄彦さんは酷く、酷く酷く怒っていたのだと思う。  怒り過ぎて感情が突き抜けて、表情が抜け落ちてしまっていたのだと思う。
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