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傷痕
「カース! ただいま!!」
夕方、リンデルが勢いよくテントへ入ってくる。
今日は野営だった。
テントとはいえ、他の隊員達の物と違い、勇者達のテントは背も高く、広い造りになっていた。
「おかえり」
カースは隅のベッドで読んでいた本を閉じると顔を上げる。
あまりに元気良く帰ってきた金色の青年に、壮年の男は苦笑を浮かべていた。
「今日は夕飯をこっちに運んでもらうから、この後は、ずっと一緒に居られるよ」
既にピン留めを外されているらしい甲冑をいそいそと取り外しながら、嬉しそうに告げる青年の様子に、男が僅かに眉を顰める。
「お前……、仕事はちゃんとしてんだろうな?」
訝しがるような男の声に、リンデルは苦笑する。
ロッソが側に居る限り、勇者の仕事に手を抜く事は許されるはずもない。
「ちゃんと、勇者らしくしてるよ」
軽く胸を張るようにして答えたその声は、どこか淋しげに聞こえた。
「……まさか、お前が勇者になるなんてな……」
カースはリンデルの頭から爪先までをもう一度眺める。
今朝も見た姿ではあったが、全身を包む甲冑のデザインは他の隊員達とは差別化されていて、誰が見ても、一目で彼が特別なのだと分かるようになっている。
大仰な分厚いマントや、その外側に付いた盾のような大きな肩当て、胸元も大きく張り出していて、あれでは俯いても足元が見えづらいだろう。
動きやすさという点では、他の隊員の甲冑の方が随分上に思えた。
「その鎧、重そうだな」
カースがぽつりとこぼした言葉に、リンデルが籠手を外しながら答える。
「うん……重いよ……」
伏せられた睫毛は俯いて作業をしているためか、それとも暗い感情を宿しているのか、その横顔からは読み取れない。
前科のあるカースにとっては、騎士というだけでも近寄り難い。
それなのに、まさか勇者とは……。
勇者と言えば、国の騎士の代表。シンボルのような存在だ。
清廉潔白である事が当然のように求められているはずの、その青年の横顔を見つめる。
昨夜、ベッドで男を誘ってきたはずの青年は今、いかにも気高い騎士然とした風貌でそこに立っていた。
清潔そうに整えられている艶やかな金色の髪。
重く実を付けた麦穂のような温かな金色は、青年が動く度にキラキラと淡く輝いている。
こちらの視線に気付いたのか、ようやく鎖帷子まで脱いだ青年が顔を上げる。
ゆるりと潤んだような金色の瞳。髪と同じ温かな色が男の顔を覗き込む。
「俺、部屋着に着替えようかと思ってたんだけど……。もう、このままする?」
小首を傾げたリンデルに、上目遣いに言われて、男が顔を引き攣らせた。
「……お前な……、周りも皆テントだろ? なんでそうすぐ……」
やれやれという風にため息をつく男の顎をスイと引き寄せて、青年がその唇を塞ぐ。
「っ……」
男は一瞬目を見開いたが、抵抗することは無かった。
リンデルが、そっと腕をカースの背に回し、じわりと体を密着させる。
あの頃、陽だまりのような柔らかな香りをさせていた少年は、今、脱いだばかりの鎖帷子や鎧に汗が混ざったような匂いをさせていた。
リンデルの舌が歯列を割って侵入する。
男はそれを受け入れ、自らの舌を絡ませた。
リンデルは嬉し気に頬を染めると、わずかに息を漏らす。
男性にしては高い方ではあるが、青年の声はすっかり声変わりしていた。
けれど、男の耳には十分可愛らしく響いた。
そろりとリンデルが男の肩から右腕へと指を伸ばす。
服の上から、隠された傷口を指で探っていたリンデルが、その端を見つける。
「……っ」
慰めるように優しく撫でられて、男が小さく肩を揺らした。
「……痛い?」
名残惜しそうに唇を離した青年が、男の右腕……が繋がっていたはずの場所を見る。
肩からではないものの、肘の少し上から指先までの全てが失われていた。
「いや、もう随分昔の傷だ」
「……もしかして……」
そこまで口にした青年の唇を、今度は男が塞いだ。
青年から言葉を、思考さえも奪うように、ねっとりと濃厚に男が口内を犯す。
「……ぁ…………ふ、ぅ……」
リンデルの口端から、飲み込みきれなかった雫が顎へと伝う。
男が左腕をリンデルの腰へと回した時、凛とした声が近くで響いた。
「失礼します」
間を置かず、ロッソが二人分の食事をかかえて入ってくる。
ロッソは二人をチラと見ると、表情を変えないままに、簡易テーブルへ二人分の食事と飲み物までを美しく並べて、一礼した。
「大変失礼致しました」
そのまま、何事もなかったかのように退出する。
ロッソの退出を見届けると、リンデルは呆然と固まってしまった男をヒョイと抱き抱えた。
「お、わ。何すーー」
慌てるカースを、リンデルは優しくベッドの中央へと下ろした。
ああ、そうだった。とカースは思う。
ベッドがそもそも、このテントには一つしか用意されていないし、それもこんなに大きい。
それはつまり、あの従者さえもが、こうなる事を許しているという……。
ぐるぐると考えを巡らせるカースの服を捲り上げ、リンデルはその胸へと指を這わせる。
何度も優しく撫でられて、男が恥ずかしそうに目を逸らした。
「恥ずかしい? 灯りを落とそうか?」
柔らかく気遣われて、男がさらに頬を赤くする。
「俺は、カースのそんな顔、もっとよく見たいけど……」
そう言いながら、リンデルは男の額、こめかみ、目元、頬へと次々に唇を寄せる。
「耳まで、赤いね」
耳元でそう囁かれて、男が肩を揺らす。
「……っ、誰の、せいだと……」
男の小さな言い訳に、リンデルはふわりと微笑む。
「俺のせい?」
「っ……」
さらに頬を染めて言葉に詰まる男の首筋へ、リンデルは顔を埋める。
「じゃあ、俺が、ちゃんと責任取らないとね」
くすくすと笑うように囁くリンデルが、男の首筋へと舌を這わせる。
同時に、すっかり立ち上がった胸の突起を両手でそれぞれ弾いた。
びくり、と男の腰が浮きかける。
同じように繰り返し刺激され、必死で息を殺していた男が小さく喘ぐ。
リンデルが男の耳へと舌を入れる。
ぞくりと這い上がる感覚に、男が身を震わせた。
「っぁ……っ」
「カースの声、もっと聞かせて?」
「お前……っ、どういう……っ……」
荒い息の合間に、潤んだ瞳で睨まれて、リンデルがあどけなく首を傾げる。
「どうって……。カースに気持ちよくなってほしくて……」
「俺に……入れる気か……?」
「ううん。俺、準備してあるよ」
リンデルが何故かエヘンと胸を張ってみせる。
そんな仕草すら可愛らしく見えて目眩がしそうな男が、なんとか息を整えながら言う。
「じゃあ……お前が先に……気持ち良くならないとだろ?」
リンデルはふるふると首を振った。
「俺は、カースとこうしてるだけで十分気持ち良いよ。それに……」
「それに?」
不意に表情を翳らせたリンデルに、男が先を促す。
「……カースは、腕が……」
「はっ。そんな事気にしてんのか」
カースが苦笑する。
「お前は、相変わらずだな」
笑われて、困った顔のリンデルが小さく首を傾げる。
「相変わらず、自分の事より人の事ばかり……」
小さく呟いた男の声は、リンデルに届いたかどうかは分からない。
けれど男は、そんな青年をこそ愛しいと思う。
そして、その性質ゆえに、この青年は勇者と呼ばれる存在になったのだと納得した。
不意にカースが膝を上げる。
男の上に覆い被さっていたリンデルが、膝を当てられてびくりと腰を浮かす。
カースが左腕を伸ばしてそれを撫でる。
それは既に熱を持ち、服の中で窮屈そうにしていた。
カースは、片手で器用にリンデルのズボンを下着ごと下ろす。
「……っ」
リンデルが、焦るように小さく息をのんだ。
「立派に成長したもんだな」
男の揶揄するような言葉に、少年がカアッと頬を染める。
「お前、忙しそうにしてるもんな。随分溜まってんじゃないか?」
指先で、輪郭を確かめるようにそっと撫でながら、男が言う。
からかっているのか、それとも心配してくれているのか、リンデルはカースの真意を汲めないまま、コクリと素直に頷いた。
振った首をゆっくり持ち上げながら、リンデルはじっと潤んだ金色の瞳で男を見つめる。
期待に満ちた眼差しに求められ、男は目を細めた。
「リンデル……」
名を呼ばれて、青年は嬉しそうに身を擦り寄せる。
「カース……。ずっと……会いたかった……」
「俺もだよ」
応えた男が、左腕と僅かに残った右腕で力強く抱き締めた。
「っ……寂しい思いをさせて……、本当に、悪かった……」
苦しげに謝罪する男の、声が僅かに震えている。
「ううん、違うよ。カースのおかげで俺は今、こんな風に暮らせてる。
最初に俺達を助けてくれたのもカースだし、あの時、俺達にちゃんと生活していける場所をくれたのも、やっぱりカースなんだ」
「……リンデル……」
「だからどうか、悔やまないで。俺はカースに感謝してる。恨んだりなんて絶対しない」
「……っ」
男が言葉を失う。
分かっている。リンデルが俺を恨まないことなんて。
どんなに淋しかったか、どんなに辛かったか、俺に言わないだろうことも。
だが、それと同時に、男はもう分かっていた。
この数日のリンデルの様子から、彼が自分と引き離されてどれだけ苦しんでいたのか。
どれほどに、埋められない淋しさを抱えていたのか。
「リンデル、俺はもう、お前の前から勝手にいなくならないと約束する」
それが、男にできる全てだった。
「本当に……?」
不安そうに尋ねられ、男は胸の痛みに耐える。
「ああ。誓うよ」
「カースは神様とか信じてないでしょ?」
「お前に誓うよ。リンデル……」
男が、誓いを込めて口付ける。
目を閉じて、それを受け入れるリンデル。
静まり返ったテントに、遠くから夕飯を共にする隊員達の声が微かに届く。
ロッソはきっと、外で食べているのだろう。
机の上に置かれたままの食事からは、もう湯気はのぼらなくなっていた。
お互いの鼓動がお互いの耳に、小さく、けれど確かに響く。
二人は、相手の生きている音をただ静かに聞いていた。
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