僕はパンが嫌いだ。

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僕は、パンが嫌いだった。 口の中の水分を全部持っていかれる気がしたからだ。 学生の頃、家族みんながトーストを食べている中、僕だけは白いご飯を食べていた。 納豆2パックに卵の黄身を加えて混ぜたものをご飯にかけて食べるのが好きだった。 納豆で粘ついた箸を、味噌汁で洗うのが好きだった。 僕の家ではお米を買ったことがない。 いつも祖父が送ってくれていたから。 僕の祖父は、米農家だった。 夏休みに祖父の家に行くと、決まって家族総出で田植えを手伝った。 トラックに積まれた、稲の苗が入った箱を田植え機にセットする。 満杯に積まれると、祖父が田植え機を動かして田んぼに青々とした稲が敷き詰められていく。 それを眺めているのが好きだった。 お昼になると、田んぼのそばにブルーシートを敷いてみんなで昼食を食べた。 祖父の作ったお米で握ったおにぎりはとてもおいしかった。 そういえば、俵の形をしたおにぎりだった。 中学生になると、春休みに一人で祖父の家に行き、 苗を育てる箱に土を入れる作業を祖父と二人でやった。 そして帰り際、最寄りの駅まで送ってくれた後、バイト代として一万円札をくれるのだった。 別に手伝ってくれなくてもくれるのに。 だから、僕はお茶碗のご飯粒を一粒も残したことがない。 祖父と一緒に作ったご飯が大好きだったから。 そして、家のお米がなくなる度に、祖父に連絡するのはいつも決まって僕だ。 父は単身赴任で家にいなかったし、兄妹も妹しかいなかったので、母を含めて家には男は僕しかおらず、自ずと一番お米を食べるのは僕だった。 そのため、家のお米を切らすと母に 「あなたが一番食べるんだから」 と祖父にお米を送ってもらう電話をさせられていた。 「お米を送って欲しいんだけど」 「おん。わかった」 電話口で交わされる最小限の言葉でいつも、20kgの茶色い紙袋に入ったお米が届けられる。 大学生になった時、上京し一人暮らしを始めた。 上京して初めて迎えた週末、東京に単身赴任していた父と家電を買いに行った。 洗濯機、冷蔵庫、掃除機・・・ 父に言われるがままに家電を揃えていく中、僕は 「炊飯器も」 と言った。 「お前、ちゃんと自炊できんのかい」 父はそう言った。 「お米だけは自分で炊きたいんよ」 僕はそう言った。 家電が家に届き、炊飯器の箱を開けた後、真っ先に僕は祖父に連絡した。 「おん。わかった」 2日後に20kgのお米が届いた。 それから2年後、初めて僕に彼女ができた。 彼女はパンが好きだった。 デートの日は決まってパン屋巡り。 彼女が美味しいねと笑う表情が好きだった。 彼女とは2年足らずで別れてしまったが、その後もパン屋巡りは続けた。 いつの間にか僕はパンが好きになっていた。 そして、大学を卒業し社会人になった。 朝8時から夜10時まで働く生活。 自炊するのが億劫になっていった。 昼は会社の食堂、夜はスーパーの割引シールの貼っているお弁当を食べる生活。 そして、時間のない朝は決まって簡単なトーストを食べるようになっていた。 ある日、祖父から電話がかかってきた。 何事かと思い、電話をとると 「お前、米は大丈夫なんか?」 と聞こえてきた。 「ごめん、最近忙しくて、家でご飯作らんのよ」 「ほうか。わかった」 それきり祖父と電話することはなくなった。 そして、3日前に祖父は死んだ。 心筋梗塞だった。 倒れたという連絡を受けてから、急いで帰ったものの病室の祖父の顔は布にさえぎられて見えなかった。 お通夜、お葬式を終え、東京の6畳間の部屋に戻ってきた。 あっという間の二日間だった。 あまりにもあっという間で、涙が出なかった。 僕は家にあった米袋を久しぶりに開けた。 久しく頼んでいなかったため米袋にはほとんどお米が残っていなかった。 それでも僕は懸命に米を集めた。 紙袋の継ぎ目に挟まったお米まで、一粒一粒集めた。 そうして集まったお米は一合カップの半分にも満たない量だった。 そして、埃の被った炊飯器を取り出しお米をセットする。 水量を示す線が一合からしかなかったので目分量で入れて炊いた。 炊き上がるまでの間に、僕は祖父のことを色々思い起こした。 一緒に土入れをやったこと、家族で田植えをやったこと。 たくさん思い出した。 たくさんたくさん思い出した。 そして、米が炊き上がった。 お茶碗一杯分のお米。 祖父が育てた最後のお米。 僕はお米を口に運んだ。 水が目分量だったため、米には芯が残っていた。 それでも僕は口に運んだ。 そして一粒残らず食べた。 僕の目には涙が溢れていた。 僕はパンが嫌いだ。 僕はパンが大嫌いだ。
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