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混乱する男
村の者なら誰もが行ったことがある。
先祖が眠る墓地は荘厳な雰囲気だ。
それは変わらない。
変わっていないのに、ポツンと一つだけ離れた所に目新しい墓石が建っている。
見た瞬間、そこだ、と思った。
そこが自分の墓だという確信があった。
供えるにしては似つかわしくない花が揺らめいている。ロゼが好きな、ひまわりの花。
その花が過剰なほど墓石を取り囲み、ここが墓地だという聖域を、日常にある、身近に存在する庭のような気軽さに感じさせている。
これを見るまでは、そんなバカな、という思いがあった。
両親やゼフが自分を騙している、という疑念も捨て切れなかった。
だけど、確かにその墓石には、自分の名前が彫られている。享年十九と、ご丁寧にも間違いようもない正しい自分の年齢も。
まさか。
本当にあるなんて。
我が目を疑った。
何度も擦って確認もした。
消えずに存在する墓に唖然となる。
何が起きているのかさっぱり分からない。
もしかして、自分のことをダニエルと思い込んでいるだけかもしれないと、今ある自分自身の記憶さえ自信がなくなってくる。
だけど、覚えていた。
ロゼが好きな花を。
ロゼが好きな花に囲まれて、ダニエルと一緒に老いて行きたい、死んでからも好きな花と貴方と共に居たいと言った、あの素晴らしくも情熱的に結ばれた晩のことを。
それだけは、誰が否定しようとも忘れない。
忘れるはずがない。
愛する女を手にした喜び。
何があっても共に歩むと誓った想いは嘘であって欲しくない。
崩れそうになる己を叱咤する。
あり得ない現実に自分のことまで信じられなくなるなんて、ロゼに対する裏切りも同然だ。
それだけは譲れない。
この愛だけは真実で、ダニエルに残された最後の砦のようなものだった。
「……ん?」
持ち直した気持ちで墓石を見ていれば、自分の名前や年齢の他に違う何かが刻まれていることに気付いた。
名も無き愛する我が子、ここに眠る。
「……は?」
一瞬、両親が自分のことを想って刻んだと思った。だが、名も無き、という言葉は辻褄が合わないだろう。
『いいか、つぶさに墓石を見るんだ。俺に言えることはそれだけだ』
ゼフの声が胸を打つ。
目まぐるしく働く頭が一つの可能性に辿り着き、ダニエルは元来た道を駆け出していた。
「ゼフ! ゼフ! 俺だ! ダニエルだ! 違うとか似てるとかこの際どうでもいい! 開けろ! ここを開けてくれ! 見て来たんだ……墓を、墓をしっかり見たんだ! どういうことか説明しろ! いや,頼む……何か知っているなら教えてくれよ!」
力任せに扉を叩く。
出て来ないなら、石で潰したって構わない。
脅すように叫んでも扉は頑なに閉じたままだったけど、ゼフが言わないならロゼに会いに行くと言えば、強固な扉はあっさり開かれた。
「……言っておくが、お前の為に家に入れるわけじゃないからな」
「分かってる! 恩に切るよ!」
「……嬉しそうな顔をするな。俺とお前は初対面の他人だ」
「なんでだよ! 教えてくれたじゃんか!」
「……お前がダニエルだと言い張るからだ。墓を見ればそんな事も言えなくなると思ったんだがな。当てが外れた」
「はあ?」
言えなくなるどころか、あの意味を知りたくてたまらないのに。あのまま引き下がるわけないだろう。
「今度は間抜け面か……つくづくダニエルはもう居ないんだと実感したよ。さて、ダニエルのそっくりさん。ああ、名前はダミーでいいよな。偽物なんだから」
招かざる客という扱いだけど、それでもダニエルは足を踏み入れた。
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