親友

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親友

3月25日金曜日、卒業式。今日で高校生活3年の幕が下りる。隣には、親友のKがいる。Kは僕より背が低くて、165cmくらい。高校に入ってきた時は大きい方だったが、そこから伸びなかった。 2年前から流行り出した感染症の影響で、クラスメイトも先生も、来賓もみんなマスクをしていて顔は半分しか見えないけど、女子の半分くらいが泣いているのは泣き声で分かった。Kはまっすぐ前を見ている。僕が見ているのに気づくと、こっちを向いて笑った。 校長先生の話の中に「戦争」という言葉が混じった。今、僕が一番聞きたくない言葉だ。多くのクラスメイトには関係がない、行ったこともない国同士の争い。だけど、戦争を始めた国は僕の母の故郷だった。 早く終わってくれ、誰もこっちを見ないでくれ、この話になると僕はいつも目を伏せて祈った。結局、誰も僕の方を見なくても苦い感情がしつこく後を引いた。そんな時、親友のKだけは僕が怯えている好奇の目ではなく、僕を救い出してくれるような温かく強い目でこっちを向いて、うなずいてくれた。Kがこうしてくれるから、僕はいつも耐えられた。 Kと会ったのは、高校一年生の頃だった。名前順の座席でちょうど右がKだった。野球経験が無いのに、野球が大好きな僕ら2人はすぐに仲良くなった。僕が持っていた野球チームのキーホルダーや下敷きにKが興味を持って話しかけてくれた。他人に話しかけるのが苦手な自分の心はKの存在で救われた。ひとりぼっちは嫌だけど、たくさんの友達も要らない僕はKがいるだけで学校生活はもう十分に楽しかった。 部活に入る事を強制されない高校だったから、二人とも部活には入らなかった。Kの家の近くにある漫画が沢山置いてある本屋さんでマンガを立ち読みしたり、あてもなく散歩をして何となく日が暮れるまで一緒にいた。日が暮れた後は家で野球を見て、翌日のKとの会話に備えた。 二学期の初め、僕がクラスメイトに告白されたことがきっかけで彼女が出来て、彼女の「一緒に帰ろう」という断りずらい誘いのせいでKと過ごす時間が減った。Kに会うたび、少し彼女の事を悪者にしながら謝った。Kは全く気にしていないと笑顔を返し「だって彫刻みたいな顔で本当に男の僕からしても格好いいもんなぁ」といつも僕の容姿を褒めた。 ある日の帰り道、Kが自分の親も外国人なんだと、ふと打ち明けた。そんなに遠くの国ではないから顔を見てもパッと分からないけど、Kのお母さんもお父さんもその国から日本に来たのだと、Kは言った。Kにはその国の名前と、日本にいる時に使っている名前の2つがあるらしい。母だけが外国人なのに顔を見ただけでハーフだとすぐに見抜かれる僕には、自分の親が外国人であることを隠す気持ちがどんなものかは分からなかった。むしろ、そのことが話題に上るときには決まって「羨ましい」といった感情を相手が表現するから、何も隠す必要がないことだと思っていた。 僕らは学校で毎日、前日のプロ野球の結果について話した。あの場面での監督の采配は間違っていた、あのピッチャーはもう今シーズン使うべきではないなど、批評をするのが楽しかった。プロ野球のシーズンは11月には終わって、気づけば高校生活初めての年末年始がやってきた。僕の家では母親が料理を準備してくれて、父親とテレビ番組をボーっと見続けるのが恒例で、今年もそうした。食卓にどんどんと出てくる料理は母親の故郷の料理ではなく和食で、それは父と結婚して日本にやってきた時に父の母、つまり僕にとっての祖母から習ったものなのだと聞いた。 楽しい年末年始が終わり、Kと語り合うためのプロ野球の試合がないことだけが悔やまれる春学期が始まった頃、テレビで新しい感染症が流行し始めたというニュースが流れた。と言っても日本の話ではなく外国の話だから気にする必要はないと、父は僕に言ったが、そうはいかなかった。ニュースで名前が連呼されているその外国というのは、Kが打ち明けてくれた、Kの両親の故郷の国だった。
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