親友

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三学期が始まってしばらくすると、外国の話だと思っていた感染症に罹る人の数は日本でも増えていった。外に出るときはなるべくマスクをするべきという事が常識になり、母はしばらくの間、買いものから帰るたびに「また今日もマスクがなかった」と言った。 学校もそのうち登校中止になるんじゃないかという噂が流れ始めた。今まで他の病気と大して変わらないと思っていたその感染症は僕らの日常生活に明確な影響を与え始めた。そのころから、少し賢いクラスメイト達がこの感染症の発端について、テレビで聞きかじったことを雄弁にクラスで話すようになった。そして、必ずKの故郷の国の名前を悪びれもなく出して少し批判した。その当時、Kは僕よりも前の方に座って本を読んでいることが多かったから、その表情は見えなかった。もしかしたら、本当に聞こえていないだけのかもしれない。一か月に沢山の本を読むKにしてはページをめくるスピードが遅い気もしたが、それは僕の単なる先入観のせいかもしれなかった。 噂は現実となった。二か月間、高校は休みになり、気づいたら高校二年生になった。プリントなどは送られてきたが、それは到底学校があったころのような量ではなかった。テレビでは繰り返し、感染症のことを報じていた。たまに出かけたりはしたけれども、原則、家にいなさいと両親から言われていた僕はだんだんと息苦しさやストレスを感じるようになり、Kと電話した時にはプロ野球の開幕まで延長されることを憂いた。Kは笑って、僕のイライラをなだめるように話を聞いてくれた。僕はやっぱりKはいつものKで心配はいらないと思った。 二か月間の休みが明けて、学校は始まったけれど、前のようにお互いの表情がいまいち分からないマスク姿の同級生たちとの日々の違和感はいつまでも残った。僕とKにとって一番大切なプロ野球は無観客という異例の方式で開幕をした。誰もいないスタンドに飛び込むホームランは試合前の練習のように空しい響きがあった。お互いの顔についているマスクという壁のせいか、前ほど二人の間の話は盛り上がらなくなったような気がした。同じころ、彼女とも別れた。 それからの学校生活は、もしかしてそろそろ感染症の心配をしなくていい日が来るのではないかと期待が何度も裏切られとうとう高校三年生も終わりの時期に近づいた。席替えでたまたまKの隣かつ教室の後ろの方という特等席を手に入れた僕は、そのおかげで終盤の学校生活は楽しむことが出来た。修学旅行は予想通り、ぎりぎりまで発表を待ったうえで中止になった。クラスメイト達がKの故郷の国を感染症が流行り始めた時よりも強めの言葉で罵倒することが増えた。おそらく家で親たちがそういう会話をしているんだろう。「絶対に○○語は大学で選択しない」など、そんなことに何の意味があるのか分からないことまで言い始めていたが、それだけ修学旅行を楽しみにしていたんだろうとも思った。そんな時にふと、Kの顔を覗き込むといつも笑っていたので、そのたびに胸をなでおろした。 もうこのまま何も変わらず、高校生活は終わるのだろうと考えていた2月の終わり、衝撃的なニュースが日本に届いた。いわゆる先進国同士の戦争が遠い地で始まったのである。朝、リビングに行くと母親が顔を真っ青にしていた。戦争を仕掛けた国は母の故郷だった。
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