親友

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全員で起立して校歌を斉唱する。これが終われば、残すは卒業生の退場となり、後は教室で最後の軽いホームルームがあるだけ。部活もない自分はこの場から逃げ出すことが出来る。校歌のテンポがやけにゆっくりに思えて、足を小刻みに震わして今か今かと終わりを待った。 戦争が始まってからというもの、僕はどんどんと勝手に被害妄想のようなものを描くようになっていった。僕の顔立ちを見て「ハーフだよね?どこ?」と言ってくる人たちは今までの人生にだって沢山いたはずなのに、僕の頭の中では勝手に「国の名前を言ったら空気が少し悪くなってしまうのではないか」、「軽い会話を重くして、もう話しかけてもらえなくなるんじゃないか」という考えがぐるぐると回った。 日直で教室に残っていると、なぜか着替えをしている引退したはずの運動部員が「あれって、お前のお母さんの国だよね?」と話しかけてきた。いったい何を言われるんだと思いながら頷いて返すと、「だよね。お、じゃあまたね!」と特に自分が恐れているようなことは何も言われずに相手は去っていくのだった。結局、自分の中にある妄想ともいえる黒い闇は、自分で生み出して、自分で肥大させているだけのように思えた。自分の母の国籍は、他のクラスメイト達にとってどこまで重要なんだろうか。その想像が出来なかった。その手触りが欲しかった。大丈夫なら、大丈夫なことを確信したかった。そして、そんな話を出来る友人は自分にとってK一人だった。 Kと僕には週に一度くらいだけ行くファミリーレストランがあった。簡単な料理一つにドリンクバーを付けて、とにかく二人で気が済むまで話すことが目的だった。戦争が始まってから抱いている気持ちについて勇気を出して、Kに打ち明けた。 「うん、なんとなく傷ついちゃってるんじゃないかって実は心配してた。最近、なんていうか話していても愛想笑いが多いっていうか」 「いや、Kと話すのは本当に面白いんだ。でも、油断をすると心の中に嫌な気落ちがしみ込んできてきて、もしかしたら誰かが自分のことを軽蔑しているんじゃないかって、そればっかりが怖くて」 「じゃあ、僕の事はどう思ってた?感染症が流行り始めた時。僕の事、軽蔑したりした?」 「いや、しないよ。だってKはずっと日本にいるし、それにKのお父さんとお母さんだって感染症が流行ったのとは何の関係もないじゃないか」 「それと全く同じじゃないか」 「えっ」 「僕が持っている意見は全く同じだよ。遠くで起きた戦争で目の前の親友の評価が変わるなんてそんなわけはないんだよ」 「じゃあ、どんなニュースを見ても僕に対する評価は変わらない?」 「当り前だよ。むしろなんの関係があるっていうのさ」 短い言葉で大事なことを詰め込めるKのことをすごいと思った。でも、同時に今の言葉は決して思いつきなんかじゃなく、Kが生まれてから今まで考えに考え抜いてきたものなんじゃないかと思った。僕はSNSでKの両親の故郷の国を毎日罵倒しているような下劣なアカウントを知っている。感染症が流行った時に憎しみを込めたような投稿が沢山なされていたのを知っている。それらをKが見ていたのかは分からないけれど、きっとSNSでなくたって、外国人が少ない島国の日本では悪気のない差別に沢山触れて今まで生きてきたはずだ。 どんなに頭では理解したって、Kだってきっと、直接的に自分の両親の故郷が悪く言われたときにはいい気持ちはしてこなかったはずだ。それでもきっと、いや、それだからこそ今、僕を目の前にして問題ないんだと言い切ってくれているんだろう。僕が今感じている気持ちがKには痛いほど分かるから、大げさなくらいに勇気づけようとしてくれているんだろう。そのKの優しさが僕には本当にありがたかった。 何故だか母親が外国人であることで得をしてきたように感じる自分は、ここにきてようやくKがむやみに自分の両親の国籍を口にしたがらない理由も分かったような気がした。こんなに恐ろしい思いをするかもしれない毎日を送っていた親友に、自分は十分に寄り添ってあげられていたのだろうか。 卒業式は終わり、ホームルームで担任の先生が涙を流している。みんなはそれを笑っている。笑っていると思ったら、半分くらいは泣いてもいる。解散になると、この後も予定がいっぱい詰まっている他のクラスメイト達は一目散に外に出て、記念写真を取ったり、校門の外にみんなして駆けて行ったりした。この長引いた感染症のストレスをすべて解消してやろうという気合のようなものが見て取れた。 僕はKと桜が散りつもっている通学路をいつも通りに歩いていた。言いだしたいことをいつも言い出せなくて後悔してきた自分は、今日だけは殻を破ってKに頼んで二人で自撮りをした。ここで撮った写真をこれからも折に触れて見返せば少しでも強く生きていける気がした。 写真を撮った後、周りに変な目で見られることを承知でKを思いっきり抱きしめた。Kがいたから救われた。Kが今までの人生で幾度も経験してきたかもしれないその感情を、僕はKなしではきっと乗り越えられなかった。今日の卒業式からも逃げ出してしまっていたかもしれない。三年間、ずっと最高の友達だったけれど、最後の最後にKの本当の強さと温かさを知った。自分が他人の傷に気づけていないことも痛いほど知った。 「Kにもしつらいことがあった時は僕に一番に連絡してほしい。僕がKを頼ったみたいに、Kにも僕を頼ってほしい」 「うん、じゃあ遠慮なく頼らせてもらうよ」 そろそろ後ろから歩いてきている生徒が注目しだしているよ、とKが笑って僕の身体をほどいた。桜は相変わらず目の前をすごい勢いで吹雪いている。僕はKから身体を話すと急いで帰り道の方向に体の向きを変えて歩き始めた。そうしないと、流れ始めて止まらなくなった涙を隠すことが出来なかった。
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