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「佐倉。次の舞台は、背景をこんな風にしたいの。あんたなら作れるよね?」
俺がその話をミハルから持ち掛けられたのは、俺たち大学四年生の九月にある卒業公演の舞台のために、ミハルが新作脚本を書きおろした日のことだった。俺はビール会社に内定を無事に得ていて、大道具係としても、役者としても、この劇団にかかわるのはこれが最後だと決めていた公演だった。
団員はミハルと俺を入れて全部で6人の、小さな小さな学生劇団だが、舞台に立つミハルの異様な存在感と、アングラな脚本が、マニアには受けるのか、フライヤーもはけるし、そこそこ集客できていた。
ミハルの持ってきたペラ紙に書かれた、おおまかなストーリーの内容と背景の説明を見て、俺は吹きだした。
「今度は宇宙空間なのかよ」
「そう、未知との遭遇」
「まかしとき。最後の大仕事、やっちゃるぜ」
「佐倉」
ミハルに向かってにいっと歯を見せて笑った俺に、ミハルは目を光らせていった。
「聞いたよ。内定大手に決まったって。佐倉なら、どこでも通用しそうだけど。役者、本当に辞めちゃうんだね」
「……ああ」
もともと、演劇は学生の間だけで足を洗うつもりでいた。もとから決めていたことだ。
「佐倉ほど腕のいい、大道具係、見つかるとは思えないから残念」
「まあ、役者はいくらでも見つかるだろうけど、大道具はレアだからな」
そんな会話をして、練習部屋から出ていくミハルを見送った。
翌日から、ミハルが配った台本を、みんなで読む日々が始まった。主演男優は、森下龍生という男で、ミハルがキャンパスでスカウトして見つけた、やたらと美形な男だった。そのほかの役者として、田勢直人という他の劇団で音響もやっている男優と、三船幸奈という女優、新崎佳代という女優がいた。
ミハルの書く脚本はとにかく突飛というか奇抜というか、みんなで墓掘り人の衣装を着てステージでダンスをしたり、グリム童話を下敷きに非常にブラックユーモアな演出をして演じてみたり、中世の錬金術師が出てきてマジックをしたりと、一風変わった作風だった。
演じる側も、彼女の思いつきに合わせるのは大変なのだったが、ミハルには見るものを惹きつける不思議な吸引力と、誰にも似ていないカリスマ性があったため、一部熱狂的なファンを生んでいた。
そして、劇団の練習のあと、ミハルはいつも、団員からなけなしの食費を集めると、練習部屋の隣の古いキッチンで、まかないをつくってくれた。おにぎりなどもつくったが、カレーがよく出てきたことを覚えている。
ミハルが大鍋で作るカレーは演劇内容と同じくとても変わっていて、まずじゃがいもにんじん玉ねぎなどといった、定番の野菜は入らない。激安のもやしと、食べてボリュームがある、という理由で大根がごろごろ入っていた。もちろん、肉は高いから入っていたためしがない。
「カレーできたよぉ」
ミハルの声で、全員が円座形式で座り、カレーをもくもくと食べた。とても辛くて、大根は喉につまりそうなぐらい大きく切られ、もやしはくたっとしている。美味しいといえるかどうかは微妙な一皿なのだが、とにかくみんな文句を言わずに食べた。
そんな風に、カレーで力をつけながら、台本を読み、セリフのかけあいをし、クーラーの効かない練習部屋で汗まみれになりながら、練習を重ねていた矢先に、事件は起こった。
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