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無機質な電話の呼び出し音の後に慌てた高木君の声が聞こえてきた。
「さ、坂井。どうしたんだ?」
「どうしたって高木くんがブラスバンド部の追い出しコンに来なかったから部長が花束ぐらい持って言ってやれって言われたの」
私は片手で抱えた花束に視線を落としながら呟く。
「あの野郎……」
高木くんが小さく吐き捨てるのが聞こえた。
「迷惑なら玄関の前に花だけ置いていくけど? 住所だけ教えてくれる?」
「いやいやいや。坂井が来るのが迷惑なわけないだろ!」
少し声を大きくして高木くんが慌てて言う。
「なら住所教えてくれる? 最寄り駅までは来てるんだけど……」
「ああ。それなら駅をまっすぐ行って二つ目の十字路を右に曲がってくれ。そこ道の突き当りにある桜ハイツっていうアパートだから。部屋番号はえっと二〇二だ」
「分かった」
私はスマホの通話を切ると道路を桜ハイツに向かって歩き始めた。高木くん慌てていたなと思いながら。仕方のないことだと思う。彼はつい先日私に告白してきたばかりなのだ。
不思議な気分だった。高木くんは誰にでも優しくていつも部活で一人浮きがちな私にも声を掛けてくれる。きっと、高木くんが私を好きだというのは錯覚だと思う。雨の中濡れている猫を見つけてしまったような気分なのではないかと思う。人付き合いの苦手な私に同情してくれているのではないかと思って、そう言ったのだが高木くんは首を振って否定した。
色々と私の好きなところを言ってくれたけれど、それは別に私ではなくてもいい気もするし、自分が高木くんが思ってくれているような人間だとも思えなかった。その場でお断りしようとした。高木くんにはもっと素敵な人が彼女になるべきだと思ったからだ。でも、高木くんがあまりに真剣なまなざしで見つめてくるので思わず「少し考えさせて」と言ってしまった。未だに返事はできていない。
部活の活動はもうずっと前に終わっていたが、本格的な受験勉強の期間に入る前に後輩たちが追い出しコンというなの送別会を開いてくれた。今日、きっと高木くんも来ると思っていたので返事をしなければと思っていたので憂鬱だったのだ。高木くんが今日は来れないと聞いてほっとしていたのに、部長に花束を持って行ってくれと頼まれてしまった。断るのも変だし、成り行きでここまで来てしまった。
十字路を曲がってしばらく歩くと桜ハイツが見えてきた。二階建てで一階に五部屋あるアパートらしい。一階の廊下を一〇一号室の前を通って一番奥まで歩く。突き当りの階段を登って二階に言った。二〇二号室ということは二階の二番目の部屋だろうと思って階段を登ってすぐ二つ目の部屋を見るとネームプレートに二〇二の部屋番号が見えた。高木と名前が入っているのでここで間違いないだろう。
インターホンを鳴らすと部屋の中から玄関に向かって駆け寄ってくる足音が聞こえて扉が開いた。高木くんが少し緊張したような笑顔で出迎えてくれた。
「よ。よぉ」
「これ、後輩たちから。今日は高木くんに会えなくて残念だって。でも受験頑張ってねだって」
花束を渡して後輩たちの言葉を伝える。
「お、おお。ありがとう」
「じゃ、これで」
私は目的を終えたので踵を返して帰ろうとすると高木くんが私の背中に声を掛けた。
「せっかく来たんだ。上がっていかないか?」
突然の誘いに驚いたけれど、特に断る理由もなかった。
「迷惑でなければ」
「さっきも言ったけど、迷惑なわけないだろ」
「そう? じゃあ、お邪魔します」
玄関から部屋の中にはいる。1DKの部屋だった。玄関すぐ横に小さなキッチンと冷蔵庫があって短い廊下の先に部屋が見えた。靴を脱いでお邪魔する。部屋の中央にある丸いテーブルの前に座るように促されて座る。男の子の部屋に入るのなんて初めての事だったので何となく周囲を見渡してしまう。
小さな本棚には参考書や有名な漫画なんかが乱雑に並んでいた。CDも並んでいる。CDは父親の部屋にあるのは見た事があるけど、自分は持っていないのでちょっと珍しかった。
「あんまり、ジロジロ見ないでくれな」
照れ臭そうに高木くんが言う。
「あ、ごめんなさい」
「いや、良いんだよ。ちょっと恥ずかしいだけ。お茶でいい?」
高木くんは食器棚に向かって行き、コップを取り出そうとして戸棚の下に入っていた紙コップを取り出した。冷蔵庫から大きいペットボトルのお茶を持ってくる。
「ごめんな、普段客なんてこないからコップが無くてさ。紙コップだけど」
言って私の前にコップを置いてお茶を入れてくれる。
「ありがとう」
高木くんも目の前に座って自分のコップにお茶をそそぐ。二人して沈黙が続いた。
「……でもあれだな。もう高校も卒業って思うと早いよな」
「そうだね。ついこの前部活に入ったと思ったのに」
「はは。懐かしいな。俺、坂井と同じ日に入部届出したんだぜ」
「そうだっけ?」
「そう。入りたい部活もなかった俺は色々体験入部してたんだ。運動部にしようかと思っていたんだけど。文化部も体験してみるかって興味本位だった。そこで坂井も一緒に体験入部してた。坂井最初は楽器の音が出せなくて困った顔してたよな」
「……忘れてほしい」
「ごめん。ごめん。きっと坂井は入部しないだろうなって思ったんだ。でも、体験入部の終わった後すぐに入部届を書いてたから驚いたんだ。だから、思わず入部するの? って聞いたんだよ」
「そうだっけ?」
私はいまいち覚えていなかったので首を傾げると高木くんは苦笑した。
「そうだよ。そうしたら、入部しますって。どうして入部しようと思ったのって聞いたら、坂井なんて言ったか覚えている?」
何か言っただろうか? まったく覚えていなかったので首を傾げる。
「金色の楽器吹けたらカッコ良いからって。無表情で言うから俺笑っちゃったよ。確かにその通りだって」
そんなことを言っただろうか。そんなことを覚えている高木くんは記憶が良いんだろう。
「たぶん、その頃から俺は……」
高木くんが何かを言おうとした時、部屋の奥から「にゃー」と無く声がした。
「猫?」
箪笥の隙間から小さな猫が顔を出してきていた。
「ああ。飼ってるんだ。餌が欲しいのかな?」
高木くんは立ち上がると部屋の隅にある収納棚の奥から猫の餌を取り出すと皿の上に出してやる。猫は餌に向かって行くともう一度「にゃー」と泣いて餌を食べ始めた。
「猫好きなの?」
「まぁ。実家に住んでいた時も猫飼ってたからね。好きだよ。坂井も好きなの?」
「……どうなんだろ? 可愛いとは思うよ」
「可愛いんなら好きなんじゃないの?」
「そうなのかな?」
好きという事がよく分からなくて餌を食べている猫をじっと見つめていた。しばらくすると猫は満足したのが両手で顔を洗い始める。その動作は可愛いと思えた。じっと見つめていたからなのか、猫がそっと私の足元に来ると頭をこすりつけてきた。おそるおそる頭を撫でてみる。柔らかな毛の感触があった。猫がゴロゴロと喉を鳴らす。
「高木くん……私好きかも」
「えっ!?」
高木くんが驚いた声を出して、急に立ち上がろうとして足がテーブルにぶつかってテーブルの上のコップが倒れてお茶がこぼれた。
「あっ。お茶!」
「やばい。タオルタオル!」
高木くんが慌てて立ち上がって箪笥に向かう。引き出しをいくつも開けてタオルを探すが見つからなかったらしい。慌ててティッシュを手に戻ってくるとお茶をふき取る。
「大丈夫だった?」
「うん。こぼれたのはテーブルの上だけだから」
ただ、今の騒ぎで猫が驚いて離れて行ってしまったのが残念だった。
「どうしたの? いきなり慌てて」
「今、好きって」
「うん。私、猫好きかもって思ったの」
「ああ。猫。猫ね」
高木くんはがっくりと肩を落として呟いた。
「ごめんね。告白の答えかと思った?」
私がストレートに言うと高木くんの顔が固まる。
「普段、のんびりしてるのに、そういう所はストレートだよな」
苦笑しながら言う。
「そう? 私だって、返事はしないと駄目だなって思っているんだよ」
「そっか。そうだよな」
「返事をする前にひとつ聞かせてほしいんだけど」
「何?」
「ここ誰の家?」
私の言葉に高木くんの顔が真っ青になった。
「どうしてそれを……」
「おかしいと思ったんだ。この部屋は物が少なくて男の子の部屋って感じがするけど、妙に片付いているから。弟の部屋はもっと散らかってるよ。でも、綺麗好きなだけなのかなとも思った。でも、高木くんはあんまり部屋を見てほしくないみたいだった。コップにしてもそう。コップが無いって言ってけど、食器棚の中にガラスのコップは一つしかないけど、湯飲みとかはあるよね? コップを使いたくない理由があるのかなって思った。
それに部屋の奥に仕舞われている猫の餌の位置は分かるのに日常的に使うタオルの位置が分からないっておかしいよね。だから、高木くんはこの部屋に来たことはあっても高木くんの部屋ではないんだろうって思ったんだ」
「でも、それだけじゃ」
「うん。今言ったのはどちらかというと後付けの理由なんだ。このアパートって二階に上がる階段一つしかないよね?」
「そうだけど」
「私一階廊下を一〇一号室の前を通って一〇五号室の前の階段を登ったんだ。普通一階と二階の部屋の並び順って同じなんだよ。一〇五号室の目の前の階段を上がったら目の前にあるのは二〇五号室のはず。その隣のこの部屋は二〇四号室のはずなんだよ。でもネームプレートには二〇二号室高木になっていた。だから、ネームプレートだけ差し替えたんじゃないかな。だから高木くんの本当の部屋は二つ隣の部屋なんでしょ?」
私が説明を終えると高木くんはポカンと口を開けて呆然としていた。
「私、何か変なこと言った?」
「いや、言ってないよ。凄いなって思っていただけだ」
「それで、ここは誰の部屋なの? そして、どうして部屋を誤魔化したの?」
私が言うと高木くんは頭に手を当てながらぽつりといった。
「従姉の部屋なんだ。今週、大学の卒業旅行ってことで海外に行ってる。俺は猫の世話を頼まれたってわけ。だから、今日も猫の世話があったからいけなかったんだ」
「そんなの、言ってくれればいいのに。どうしてこんな手の込んだこと」
私が不思議に思って首を傾げると高木くんは顔を俯けて言った。
「好きな女の子に告白したばっかりなのに、違う女の人の部屋に上がり込んでるなんて、駄目だろ。でも猫がいるからこの部屋を離れるわけにはいかなかったし、好きな子を追い返すなんて俺にはできなかった」
顔を真っ赤にしながら高木君は言った。その様子をみて、私は少し胸が高鳴る。
この気持ちはなんだろう。分からないけど。
もう少し、高木くんを知ってみたいと思った。
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