夫の中の女

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夫の中の女

夫はずっと嘘をついていた。私の知らないもうひとりの女を心の中でずっと飼っていたのです。 今夜も残業で遅くなると告げると夫は今日も勤めに出た。おかしなもので毎日残業、土日祭日のべつなく、盆暮れ正月やゴールデンウィークまで休みもなく、そして残業だ。その残業というのも毎晩午前様だ。サラリーマンが接待や付き合いで毎晩午前様は聞いたことがあっても町工場の整備工が毎晩そんな時間まで残業とは些か不信であった。何度も勤め先に問い合わせたい衝動にかられたがどうにか思いとどまっていたのだ。結婚する前もあまり会う機会がなくこの人は本当に私を好きなのか疑ったものだ。仕事熱心にしても何かがおかしいのだ。特に最近では毎晩午前様で夜の方も、もう数年ご無沙汰である。夫婦とはそういうものなのだろうか。友人に話すと決まって浮気を疑うべきだとアドバイスを受けるのだ。しかしあんな馬かロバのような顔の男に浮気など似合いもしない。そもそもそんな甲斐性があるようには思えない。ただ単に私という女に飽きたか嫌いになったのだろうか。一度話し合ったことがあったが夫はそれを全否定した。しかし実際の行動はそうではないのだ。してはいけないと思いながら夫の携帯電話を盗み見たこともあったが通話の履歴もメールも私や会社関係がほとんどで怪しむようなものは何ひとつ見つからなかったのである。しかし土日も休みがなく毎晩残業では監督署が黙ってはおらないだろうと思った。夫の同僚も同じなのであろうか。私は夫の勤め先へ電話をかけようとしたがやはりやめた。いくらそんなブラック企業であってもあのだらしのない人が他でつとまる気がしないのだ。ようやく落ち着いて長く勤めてくれたのだからと目をつむる。しかしその給料たるや大学生のアルバイトより安いのではないかと思える金額しか振り込まれないのである。確かめたい。どうするべきか思案を巡らした。そうだ夫を尾行しよう。そう思いつくと早いもので、親友と今夜尾行を決行することに決めた。私の車で尾行したのではバレるのは当たり前なので親友のそれも弟の車を借りるまで根回しをした。気分は探偵だ。しかし何事もなく本当に夜中まで残業をしていてくれたらよいのだが。もしそうなら別の仕事をするようすすめるつもりでもいた。 夕方友達が見慣れぬ車でやって来た。特に目立つようなこともないごく普通の白い軽自動車であった。こっそり尾行するには好都合だ。珍しい車種や改造車だと尾行どころではないのだから助かった。 「そんな夜中まで残業する整備工場なんて絶対ないって」 親友の朋子は煙草に火をつけ片手でハンドルを器用に回しながら前を向いたまま言った。 「たしかに」 私にはそう答える他なかった。念の為夕方五時に夫の俊の勤め先へ様子を見に行くと唖然とした。なんと夫の車が勤め先の整備工場から出て来たではないか。私はとっさに顔を隠した。 「大丈夫、気づいてないって」 そう言いながら朋子は隙をみてUターンをして夫の車を追った。友達の中で一番運転がうまい朋子を連れてきて良かったと思った。 「ほらね、やっぱり」 朋子は付かず離れず夫の車の後ろについた。 「やっぱり女かな」 私は胸がざわつきもうこの場で俊を止めて問い詰めたかった。 「真奈、証拠を掴むまでダメよ」 朋子は相変わらず器用にくわえタバコで俊の車を追った。やがて俊の車は大きなショッピングモールの駐車場へと入って行った。私たちも後を追い少し離れた場所で観察した。 「ありがちよねこうゆう場所で待ち合わせてさ」 朋子は無表情にそう言った。もしも女なら意見してやるのだと私よりも怒っていたのである。 「もうダメかな」 私には結末が見えているような気がして泣きそうだった。 「別れたら、あんなウマヅラのどこがいいかね全く」 ふたり俊の車からはけして目を離さぬよう注意を払った。 「来ないね」 朋子が時計を見てそう言ったのはもうここにとまってから三十分以上がすぎたあたりであった。私はその相手の女に来てほしくはなかった。ここで着替えでもしてパチンコにでも行ってくれたらどんなにいいかと考えていた。あの安月給、私の半分しか稼げないのだからきっと消費者金融にも借り入れがあり、それでも女がいるよりはずっと救われる。借金なら私が親に言って都合してもらってもかまわないと思っていた。どうか女など来ませんように。すると俊の車が動き出した。 「待ち合わせ場所変更したのかね」 朋子はうまい工合に俊のうしろにぴたりとついた。車はショッピングモールからどんどん郊外へと向かってゆく。とうに日は暮れ真っ暗になったていた。 「河原でカーセックスでもするんじゃないの」 朋子は特段笑うこともなく怒りを滲ませて言った。 「毎晩ギャンブルで借金でもあってくれたらまだよかったのに」 私はもう泣きだしてしまった。 「ごめん、まだ決まったわけじゃないよ、夜釣りとかさ」 急に朋子はそう取り繕って笑ったがそんなわけがない。そうあってほしいのだが。しばらくして俊の車は野球場の駐車場へ入り私たちも続いた。一台青い乗用車がとまっていた。俊の車はまっすぐその車へ向かいその隣でとまった。やはりそうか。あれが女の車か。 「どうする」 朋子が運転席から私の顔を覗き込んだ。私には言葉がなかった。決定的瞬間を取り押さえるのか。やがて暗がりでよく見えないが俊が車から降りて隣の車の助手席へ乗り込むのがわかった。朋子はライトをつけその二台の車へまっすぐ向かった。 「もう腹をきめなさいよ」 朋子は怒り私は意気消沈。何が待ち構えているのだろう。その二台の前を塞ぎ朋子は車をとめた。私は急に怒りが込み上げ車から飛び出しその俊の乗った助手席を思い切り開けた。そして私はその場へ座り込んだ。朋子が駆け寄る。 「嫌だ、気持ち悪い」 朋子は吐き捨てるように俊に言った。 「嘘でしょう」 私は涙がまた込み上げてきた。毎晩残業なんて大嘘。毎晩こんなことをしていたのか。あとから聞かされたのはインターネットを通じてやり取りをしていたそうで道理で通話もメールも履歴がないのはそういうわけでありショッピングモールでトランクに隠した服で変身していたのだ。俊は坊主頭にボブヘアーのウイッグをかぶり化粧をし花柄のブラウスに白いマイクロミニのスカート、黒いストッキングをつけ真っ赤なハイヒールを履き、運転席の男の肉茎を愛おしいように咥え喘ぎ声をあげて口で愛撫しその白濁液を飲み干し舌なめずりをしていた。慌ててとなりの男のズボンの股間から顔を離した俊の顔も血の気が引けていた。 夫は決して別れることのできぬもうひとりの女を心の中に飼っていたのだ
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