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アカシックレコードの継承者
「神様神様、アカシックレコードはどこにありますか」
私の問いかけは空虚に消えて、今も尚無意味な人生に問いが流れている。
私は万能人になりたかった、全知全能の神とやらになりたかったーーだけど、何者にもなれなかった。
ただ、弱くてもちっぽけで、空っぽのままの自分がそこにはいた。
ーーああ、これが怠惰の代償か。
やり直せるのなら、また一から人生を歩み直せるのなら、努力を惜しまない優秀な人間になりたい。
強さを求めて、
ただ、誰よりも上に、
ーーこれが私の物語だから。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
三十六歳になってから九ヶ月、未だ働きもせず、だらだらと孤独な時間を進み続けている。
ローンの払い終えた実家に子鼠のように住み着き、毎日のように部屋に籠って退屈を貪り喰らう。
預金残高が虚しくすり減っていくのを見て、とうとう働くことを決意する。
「はあ、働きたくないな」
私は負けたのだ。
惰眠に明け暮れ、将来のことも考えなかった結果が今だ。
こんな私を雇ってくれるところなんてーー
ネガティブ思考に走りながら、深夜過ぎの大通りを歩いていた私の目に映ったのは、趣がある本屋の前に貼られていた求人ポスター。
「バイト募集、全知全能に近づきたい方はこちら……!?」
書かれていた内容を読み、目を疑った。
全知全能、たとえ冗談で書かれていたとしても、一度その希望にすがりついた私にとって、『全知全能』という言葉は太陽よりも眩しい憧憬だった。
「ーー希望は、まだ残っていたんだな」
勝手に救われた気になっていた。
でも、今は少しだけ救われた。
早速家に帰り、身だしなみを整える。
しばらく切っていなかったために膝下まで伸びていた髪を肩のところでバッサリ切り、風呂に入り、体を洗い流した。
風呂上がり、鏡で自分の顔を数年ぶりに見た。
燃え盛る炎を宿した赤い瞳、髪は赤みがかっていて、唇は口紅を塗っていないにも関わらずスカーレット色をして魅惑な雰囲気を醸し出している。
「これが……私だったな」
鏡の自分に人見知りをするほど、数年ぶりに見た自分の顔に驚いていた。
面接に向かうため、華美ではないシンプルな服を選ぶ。
白い無地の洋服にジーパンを履き、あの本屋へと向かった。
時刻は午前八時。
平日のためか、客はあまり多くは見受けられない。
木造建築の本屋は意外にも広く、本棚が五列ほど並べられている。二階は吹き抜けになっていて、壁に本棚が密集して設置されている。
三階は屋外テラスになっていて、心地よさげな場所だった。
面接に来たことも忘れ、テラスで椅子に優雅に腰掛け、日の光を浴びながら熟睡していた。
「ーーアカシックレコード、彼女にはその素質も器もないが、人一倍の願望はあるようだ」
ふと、目を覚ました。
何か夢を見ていたらしいが、どうしても思い出せない。
頭を抑えていると、
「月夜見 赫夜姫、まさか熟睡しておるとはな」
大人びた女性の声が私の名前を呼んだ。
振り返ると、そこには声色とは裏腹に、十二歳くらいの少女が立っていた。
色が抜け落ちたような白髪に、全てを見通すかのような透明な瞳が印象的な少女。
彼女が着ている服は賢者が着ているローブ服で、緑や青などといった自然色を貴重としていた。
「君は……」
顔見知りではない。だがなぜかこの少女は私の名前を知っている。
この少女は一体なんなのだろう。
「赫夜姫、余のことを怪しんでいるな。余は怪しいものではない、そなたが憧れる万能人ーー全知全能の継承者だ」
「……へっ!?」
駄目だ、分からん。
「赫夜姫、そなたは何十年も前から憧れていたのだろう、アカシックレコードに、全知全能者に」
確かに昔は憧れていた。
だが大人になった今、それが嘘であり、虚構であり、まやかしであるということを知った。
この少女が何を言っているかなんて、私には分からなかった。
「信用できないか。では証拠を見せよう。そなたが納得するほどのことを成し遂げたのなら、余を全知全能者と認めるか?」
「あ、ああ」
嘘に決まっている。
これほどまでに露出度の高い嘘があるだろうか。
ーーだがどうしてか、私は少しだけ期待している。
「余が何をすれば認められるか、それすらも余は見通している。余は全知全能者だからな」
自信満々に意気込むと、少女は左手に持っていた新聞を私に見せつけた。
競馬の新聞、一着を予想でもするのだろうか。
「いいや、予想するのは一着から十八着全ての順位、一頭も外れず当てることができたのならば、そなたは余を全知全能者と認めるに違いない」
無理だ。
これまで競馬という夢遊の中に大金が消えていった。だがその関門をいとも容易く越えられるとすれば、確かに全知全能者である者だけだが……。
少女の絶対的自信に、疑いが薄れていく。
もしかしたらこの少女はーー
一時間後、競馬が開始された。
レースが終わり、私は唖然とした。
宣言通り、少女は一頭も間違えることなく着順を当てて見せたのだから。
超人的幸運、などと言う言葉では到底表しきれないチート。どれほどの偶然と必然が重なっても到底届きえない遥か空想を、少女は容易く成し遂げた。
「余が、余こそが、アカシックレコードの継承者にして、万能人ーー全知全能者である」
こんなところにあったのか、私が望み続けてきたアカシックレコードは。
「一通り理解してもらったところで、そなたにアカシックレコードを継承してもらいたい」
「ーーっ!? え!?」
アカシックレコードを……継承!?
「全知全能にして、万能である。君が何十年も憧れ、焦がれたものは今目の前にある。手を伸ばせば届くところに、望みはあるのだ」
「私は……長い喪失の果てに、アカシックレコードなどないと勝手に決めつけていた」
窮境の果てに、半ば諦めかけていた。
ーーはずなのに、私の目の前にはアカシックレコードがあった。
答えなんて一つに決まっている。
「私は、アカシックレコードを継承する」
「答えは出たーーならば余はもうこの力を手離し、授けよう。覚悟はもちろんできているよな」
「はい」
少女は私の頭部を挟むようにして掴むと、そのまま額を私の額とくっつけた。
少女の額と触れ合った瞬間、全身に電気が走る感覚に襲われる。その感覚は次第に膨張し、やがて宇宙の彼方に投げ出されたような虚無感を感じていた。
それは一瞬の出来事だった。
だが無限のようにも感じられた。
「今のは……一体……」
不思議な体験をした私の目には、なぜか大粒の涙が溢れていた。
「ーー終わったぞ」
不思議な感覚に呆然とし、しばらく動けずにいた。
「今のは一体……」
「そなたが味わったのはアカシックレコード継承時に垣間見る継承者の記憶だと思うよ」
「今のが……」
ではなぜ私は泣いている?
継承者の記憶が悲しいものだったのか、一瞬の出来事過ぎて何も分からなかった。
「でもそなたは変わっておるな。アカシックレコードを継承したいなどと本気で思っておるのだから」
「万能の知恵は全人類の野望でもあるだろ」
「まあ、アカシックレコードの本性を知らなければそういうものなのか。けど、そなたはもうすぐ味わうよ。アカシックレコードという全知全能の力と引き換えに得る大きな代償に」
「全知全能の力を得るんだ。どんな代償でも怖くないよ」
「そうか。なら、良いんだけどさ」
代償をあまく見ている私を哀れむような視線に、不安を抱いていた。
でも全知全能の力を手に入れたんだから、代償が何であろうと私は怖くない。
「赫夜姫、余はもう行かなくてはいけない場所がある。ここでお別れだ」
「この店は?」
「これからは君がこの店で働く番だ。私の番はもう終わりだからーー」
鎖から解放されたような清々しい笑顔で呟いた。
アカシックレコード、それが南京錠のように固く縛りついていたのだろうか。
「じゃあね」
少女は去っていった。
万能の知恵を手離し、清々しい笑みで書店を後にする。
「待ってーー」
だが私の声は届かない。
アカシックレコードの力の使い方も分からないまま、私は先代継承者の少女に先立たれた。
アカシックレコードの力を手に入れたのは良いものの、未だにその力をどうやって使うのか、その方法が分からない。
そもそもアカシックレコードがどんなものなのかさえ、私には分からない。
途方に暮れ、目の前に立ち塞がる大きな壁を前に、ただ呆然と時間を尽くすことしかできなかった。
「あーあ、このまま力の引き出し方も分からずに終わるのかな」
などと思っていると、
「ねえお姉ちゃん、お腹空いたよー」
壁にぶち当たる私に話しかけてきたのは、まだ十歳くらいの少女だ。
鷹の紋章が刻まれた黒いローブを羽織り、身長と同じくらいの杖を持っている。黒いローブとは裏腹に、純白で龍の紋章が刻まれた服を着て、雪色のスカートを履いている。
何だ、この少女は!?
「き、君は誰かな?」
「えっへん。よくぞ聞いてくれた」
「……え!?」
感極まりながら両手で謎のポーズをした。
な、何が始まった!?
「我が名はギルティネ・ゲニウス・ロキ、暗黒面に堕ちたりし冥界の魔王ハデスが娘にして、死の女神ギルティネを母に持つ神の子也」
「……な、何だこの子」
「何だこの子、だと。我、ギルティネ・ゲニウス・ロキ様に失礼であろう」
「い、いや……え、えっと、何? ギルティネ……なんだっけ?」
「ギルティネ・ゲニウス・ロキだ。もう、忘れるな」
「は、はあ」
何だろう。
多分だけどこの子は、中二病と言われる病に侵された子だ。それも恐らく重症らしい。
「君、本名は何て言うのかな」
「だから名乗ったであろう」
ああ、なるほど。
「じゃあ偽名とかはあるかな? 例えば本名を隠す際とか、いつも使っている名前とかないかな」
「いつもはギルティネとだけ名乗っておる也」
「……え!?」
何だこの少女は。
ますます分からなくなってくる。
「学校とかでは?」
「そもそも学校は行ってない也。我はこの本屋にのみ生息する、いわばレアモンスター也」
この書店にだけ暮らしているということらしいが、つまりアカシックレコードを所有していた少女と何か関係がありそうだが。
だが彼女の名前を知らない以上、どう説明すれば良いのか不明瞭だ。
とにかくニュアンスだけ伝われば良い。
「白髪に賢者みたいな服装を着た少女のこと、君は知っているか」
「知ってるも何も、それってーーお姉ちゃんのことでしょ」
そう言いながら、ギルティネは私を指差した。
「ち、違う。私じゃなくて、この店で働いていた白髪の少女のことだ。君よりも少しだけ歳上の少女のことだ」
「だーかーらー、それってお姉ちゃんのことじゃん」
何かがおかしい。
そう感じざるを得なかった。
私とギルティネは初対面であり、今の私の容姿以外に私を見ていない以上、白髪でもなく賢者服を着てもいない私をその少女と同じにするのは不自然でしかない。
白髪の少女と私の共通点、厳密に言えば今白髪の少女になく、私にあるものと言ったらただ一つーーアカシックレコードの存在だ。
彼女が白髪の少女を私と認識しているのだとしたら、アカシックレコードが関わっているとしか考えられない。
だとしたら、ギルティネはアカシックレコードを見ている、という可能性が高い。
「アカシックレコードって知ってる?」
「知ってるも何も、
ーーその賢能は我がこっそり持ってきた全知全能の禁書庫のことでしょ。
我が知らないはずない也よ」
「君が……アカシックレコードを持ってきた!?」
この書店に来てから驚かされることばかりだ。
何度も何度も未知の情報が交錯し、その度に私はただただ驚かされる。
「そんなことよりお腹空いたよ。早く昼飯つくって」
ギルティネならアカシックレコードについて何か知っているだろう。
今の私に残された希望、それはーーギルティネ・ゲニウス・ロキ、ただ一人だけだった。
「早くつくってよ」
私は引っ張られるままに書店の四階へと移動させられた。
スタッフ専用ルームと書かれているが、少女から離れるわけにはいかない。そのため、私は少女のために昼飯をつくることになった。
自炊なんて何年ぶりかな。
いつもコンビニ弁当ばかり食っていた私には無縁と思われていた料理技術が試されることになるとは……。
だがしかし、冷蔵庫の中を見て固まる。
食材がたくさんあり、何をつくればいいか分からない。
「もうお腹ペコペコ也よー」
「分かったから」
適当に材料をとっていく。
スパゲッティが冷蔵庫横にある箱に見つけたので、ついでにベーコンや卵を取り出した。
カルボナーラは麺茹でるだけで良さそうだし、いけるか。
などと思っていると、ふと頭に電流が走る。
「痛っ」
この感覚、アカシックレコードを継承した時の感覚と似ている。
まさかーー脳裏に深々と現れたのは、知るはずもないカルボナーラの作り方についての情報だ。
「これがアカシックレコードの力……」
脳裏にある情報通りに料理を作ると、美味しそうなカルボナーラが出来上がった。
難しい行程もあっさりと成し遂げ、まるで経験者のように遂行した。
「さすがはお姉ちゃん、料理上手いね」
私が料理が上手いのではない。
これは、全部アカシックレコードの賢能だ。
アカシックレコードの片鱗に触れた月夜見赫夜姫を、本屋の対面にある病院の屋上からある少女が見ていた。
「アカシックレコード解放0.0001%っていったところか。ま、ある程度の素質はあるかなって感じか」
少女は先を見据えていた。
だからこそ、この先赫夜姫が直面することになる未来を想像し、憂いた。
「すまないな。余にはその代償が辛すぎた。だから君に託した。その結果がどんな悲劇をもたらすのか、今の私には分からない」
かつてアカシックレコードを手にしていた彼女は、アカシックレコードのない現状に喜びを感じていた。はたまた、哀れみも。
「いずれ分かる日が来る。その全てを、過去も未来も、何もかもを。だからその時が来るまで、君はアカシックレコードを楽しむと良い。その先も見据えずに」
ーーその方がきっと幸せだから
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