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消えた
俺は昨日歩いた道筋を思い出しながら、例の靴屋を探した。
建物と建物の間を通り、西洋風のこじんまりとした靴屋にたどり着くはずだった。
俺は荒い息を整えながら、呆然と立ち尽くした。
昨日、店があった場所は更地になっていて、例の靴屋は跡形もない。敷地内にはこの場所が売りに出されていることを示した看板が設置されていて、昨日今日工事で取り潰された感じではなかった。
「なんで……なんでないんだよ!」
吠える俺の後ろから、息を乱しながら、誰かが駆け寄って来る気配がした。振り返ると、華乃もどきが肩を大きく上下に揺らしながら、こちらに向かって来ているのが見える。
「帰ろうよ、朝練、遅れちゃうよ? サボる気?」
俺は華乃もどきから視線をはずした。
「部活はやめた。」
「そんなの、聞いてないんだけど……!」
華乃もどきが焦ったような声を出して叫んだ。
「言ってねぇもん。お前には……。華乃が死んで、走る意味がなくなったから辞めたんだよ」
少し間があってから、華乃もどきが聞いた。
「さっきからなんか……ずっとおかしいよ、正也。何を思い詰めてるの? 怖い夢でもみた?」
気遣うような優しい声色で、華乃もどきが声をかける。薪をくべるみたいに、沸々と静かに、どうしようもない怒りが俺の心の中を埋め尽くす。
「ーー昨日、ここに来たんだよ。靴屋があってさ、赤いスニーカーと、俺の靴を交換したんだ。」
「靴屋……? 何もないけど……」
俺は振り返り怒鳴った。
「あったんだよ、ここに!
古い中古の靴を販売してる店が! あったんだよ!
奇跡を起こす靴だって言われて……交換したんだよ、俺の靴とお前の靴!」
華乃もどきが、泣きそうな顔で俺を優しく抱き締めた。
突然の事で動けなくなってしまった俺は、驚きで目を見開いた。
「ゴメンね、そんなに思い詰めてるなんてわからなかった。」
「な……にを」
「ねえ正也。私は死んでないよ、生きてるよ。心臓の音、聞こえるでしょう?」
肩越しにドクンドクンと華乃もどきの心音が聞こえる。
「聞こえる……けど、お前じゃないんだ……」
涙がこぼれ、嗚咽が漏れる。
「きっと疲れてるんだよ、正也。たまにはさ、息抜きでもしようよ」
華乃もどきが優しく俺の背中を撫でる。
「もうすぐ、浅川神社でね、お祭りがあるんだ。花火もね、みられるよ。たまにはパーっと部活のこととか忘れて、花火を見に行くのも良いんじゃないかって私は思うんだけど、どうかな?」
静かに抱き締めていた体を離す華乃もどき。目が赤くはれている。
「……花火?」
「そう、花火。今度の土曜日にあるから行かない? 18時に鳥居前で待ち合わせしてさ」
ーーそう、恋人らしいこと!
今夜6時に浅川神社前で待ち合わせだからね!約束!
俺ははっとして、華乃もどきをみた。
「……花火は、もう、とっくの昔に終わってるだろ……?」
「何言ってるの、まだこれからじゃない……!」
華乃もどきが動揺しながら俺を見る。
「だってもう10月だろ?」
「まだ7月だよ!」
叫ぶように華乃もどきが言った。
「おかしいよ、正也。どうしちゃったの? 大丈夫?」
半泣きになりながら、俺を見つめる華乃もどきに、俺は嫌な冷や汗をかいた。
「今日って、何日だ……」
「2021年の7月12日だよ……」
華乃もどきが手で涙をぬぐいながら、絞り出すように言った。
それは、華乃が殺される三日前だった。ちょうど、俺らが祭りにいく約束をした日ーー
「ーー行かない」
「どうして?」
「また守れないかもしれない。例え偽物だったとしても、また目の前で誰かが死ぬのをみたくないんだ……!」
華乃もどきが俺の顔を覗き込んで言った。何を考えているかわからない漆黒の目が、俺を捉えて離さない。
「私は死なないよ?」
俺は言葉につまった。
華乃もどきはさらに顔を近づけた。
「私は死なないから、行こうよ、お祭り。恋人らしいこと、させて」
華乃もどきが俺の指に触れ、小指を絡めた。
「ゆーびきりげんまん、嘘ついたらハリセンボンのーます。指切った!」
指と指が離れた。
黒い目が俺をまじまじと見ている。
華乃もどきが笑顔を浮かべた。
「約束だからね」
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