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ない。
玄関に入ると、華乃の家の懐かしい臭いがした。華乃が殺されてからここ数ヵ月は、線香の臭いがしたけれど、今日はしない。華乃もどきに先導されながら、廊下を歩き、突き当たり奥にあるリビングのドアを開けてなかに入った。
電気をつけ、カーテンを開ける華乃もどき。俺はリビングに隣接している和室へと、ふらふらした足取りで一人向かう。和室には仏壇があり、華乃と華乃の祖母の写真が並べられているはずだった。
しかし、仏壇には華乃の祖母の写真しかなかった。
「……どういうことだ?」
思わず考えてることを口に出してしまう。
それを聞き、華乃もどきが和室へと入ってきた。俺の背後に立つ、華乃もどき。
「そこにはおばあちゃんしかいないよ」
後ろを振り返り、華乃もどきを見るのが恐かった。俺が黙っていると、華乃もどきが俺の左側に回り込み、顔を覗き込むようにして俺を見た。
「アルバムもあるよ」
精気のない黒い目が俺をみている。その視線に耐えられなくなって、俺は和室を出てリビングのソファに向かった。そのあとをついていく華乃もどきが恐くて、なにも言えないまま、ソファに座る俺。
「アルバム、持ってくるね」
無表情の華乃もどきが、アルバムを取りにリビングをあとにした。
俺は緊張の糸が切れ、ソファの上で一気にぐったりとする。
仏壇には華乃の写真や位牌がなかった。あんなにしていた線香の臭いも今は全くしていない。
みんな華乃もどきが華乃だという。
「頭がおかしくなりそうだ……」
俺は天井をあおぐ。
大きく息を吐いた。
「持ってきたよ」
華乃もどきが足音もたてずに、リビングの入り口にたっていた。
俺の側まで来ると、アルバムを目の前に差し出す。
「一緒に、見よっか。」
にっこり笑顔でそう言うと、華乃もどきが俺の隣に座り、アルバムをテーブルにおいて開き始めた。
まだ小さかった頃の俺と、華乃もどきが写真に写っている。
俺はそれを見た瞬間、震える手でアルバムを次々とめくり、俺の知ってる華乃の姿を探す。しかし、どこにも写ってはいなかった。最後のページをめくり終えたあと、俺は無言でアルバムを閉じた。
「これでわかったでしょ?
私が西野華乃なの。」
無機質な黒い目が、無遠慮に俺を見ている。
「じゃあ……なんで記憶が」
言いかけた俺に被せるように、華乃もどきが言った。
「事故に遭ったんだよ」
俺は予想外の言葉を聞き、華乃もどきの顔を見た。
無表情な華乃もどきが、俺を見つめながら続けた。
「三日前だったかな、帰り道で車と接触して事故に遭ったんだよ、正也。それで私のことを忘れてるのかも」
俺は華乃もどきの黒目を見つめたまま、聞いた。
「……事故? 殺人事件じゃなくて?」
深く吸い込まれそうな黒目を揺らしながら、華乃もどきが囁いた。
「事故だよ。覚えてないの?」
俺は頭のなかをフル回転して思い出そうとしたが、なにも出てこなかった。
「覚えてない……」
背中に嫌な汗が伝った。
「じゃあ、これからゆっくり思い出せばいいよ」
華乃もどきが目だけで笑った。
「これから……?」
華乃もどきが俺の手を握る。
「そう、これから。きっと事故のせいで記憶が混濁してるんだよ。夢で見たことと現実の境目がなくなってるんじゃないかな?」
華乃もどきの口元が弧を描く。
「そんな……ことは」
半ば無意識に否定しようとした俺に、華乃もどきがきっぱりと言いきった。
「無いとは言えないんじゃない?」
俺は自分の手を見た。華乃もどきの体温が手を通して伝わる。
「事故……」
華乃が目の前で殺されたのも、犯人が責任能力なしで無罪になったのも、死者の靴を売るあの馬鹿げた靴屋も、全部全部。
「無かったことなのか……?」
わなわなと震える手を、華乃もどきが優しくさする。
「正也、疲れてるんだよ。気分転換しなきゃ。」
俺は華乃もどきの顔を見た。
「気分……転換?」
華乃もどきの目が弧を描く。
「そう、気分転換。明後日、一緒にお祭りに行こうね」
俺は絞り出すように声をだした。
「……わかった。」
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