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幻?
翌朝、母さんにつれられて、俺は近くの総合病院へ行くことになった。
正面入り口を通り、総合案内所に着くと、母さんが俺をみた。
「診察受付してくるから、ちょっとここで待ってて」
俺をおいて、診察受付の機械のもとへ向かう母さん。
その背中を見ながら待っていると、ふと目の端で見慣れたポニーテールを揺らしながら、誰かとすれ違った。
「……華乃?」
俺の目が驚きで大きく見開く。
ワンテンポ遅れて勢いよく後ろを振り返ったが、そこには誰もいなかった。
「……いない……?」
俺は誰もいないフロアの先を見つめ、固まった。
(今、確かに華乃の気配がした……)
慌ててフロア中を見渡すが、そこに華乃の姿はなかった。
「気のせい……か?」
診察受付を終えた母さんが俺に駆け寄ってくる。
「お待たせ。どうしたのよ、ボーッとして」
俺は言おうか、言わないでおくかで迷った結果、なんでもない、と言葉を濁して誤魔化した。
俺は念のため、脳の異常がないか調べるために診察前に頭部のCTを撮った。
そしてしばらく待合室で待ったあと、神経内科の診察室へと母さんとふたりで入った。
「交通事故による記憶喪失には、「外傷性」のものと「心因性」のものがあってね。画像を見た感じ、脳に損傷はなかったから心因性のものが疑われますね」
老齢の医師が、パソコンのモニターを見せつつ俺たちに説明する。モニターには、今朝撮った頭部のCT画像が映っていた。俺と母さんはその画面を見ながら、医師の説明を聞いている。
「心因性……?」
母さんが戸惑うように、医師を見つめた。
「心的なストレスにより記憶喪失に陥ってしまうことを「解離性健忘」って言うんだけどね、簡単に言うと、非常に強いストレスの原因となった過去のできごとや感情などの一部、もしくは全てを忘れてしまって、思い出そうとしても思い出せなくなってしまう状態のことを指すんです。治療をするなら、心因性の場合は心療内科を受診することになるけど、予約、とりますか?」
医師の説明に、言葉をなくす俺と母さん。
「大丈夫ですか?」
医師が様子をうかがうように俺と母さんを交互に見た。
「すいません、ちょっと動揺しちゃって……。心療内科を受診すれば、治るんですか?」
口元に手を当てながら、母さんが医師の返答を待つ。
「それはやってみないとわからないですね。ただ、早い段階で治療すれば、これ以上ひどくなることはないと思います」
「そうですか……」
母さんは力なく、視線を下へと移す。
「心因性ってことは、俺が持っている華乃との記憶も、でたらめな可能性があるってことですか?」
食い入るように医師を見ながら聞く俺。
心臓がうるさいくらいにドキドキ鳴る。
「幼馴染みの華乃さんとの記憶がなくて、他の女性との記憶があるんでしたっけ。事故にあった時、華乃さんは側に居たんですよね? だったら、その時の恐怖心で華乃さんの容貌を忘れることはあります」
すがるような気持ちで俺は続ける。
「じゃあ華乃が殺されたときの記憶とかも、頭を打ったときに見た夢か何かなんですか!?」
医師は一瞬目を見開いたあと、落ち着いた口調でこう答えた。
「そこから先は専門外になるから、専門家に任せましょう。予約、取っておきますね」
俺は下唇を噛み、下を向いた。
「よろしくお願いします」
母さんは医師に頭を下げると、促されるまま俺は診察室を出た。
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