(仮)

1/1

8人が本棚に入れています
本棚に追加
/31ページ

(仮)

懐かしい夢を見た翌日、俺は朝早くに華乃もどきに部屋に入られ、たたき起こされた。 華乃もどきいわく、退部届けが本当に出されたのか顧問に確認したら出されていなかったらしく、俺は陸上部に在籍したままになっているそうだ。 だから朝練しに迎えに来たとどや顔で言われ、支度を急かされた。例の怪しげなお店で交換したはずの部活用のシューズが部屋から出てきたときは、嫌な汗が頬を伝った。華乃もどきの靴といい、俺の記憶といい、現実と記憶に差がでてきている。昨日医師が言っていたように、俺には記憶の混濁(こんだく)がみられるのかもしれないーーそう思うと華乃もどきは華乃で、俺は事故にあったせいでそれを認識できてないだけかもしれないと考えてしまう自分がいる。なぜなら華乃の事を思い出そうとすると、顔の部分に黒いマジックでぐるぐると黒く塗りつぶしたようなもやがかかって、うまく顔が思い出せなくなってしまったからだ。俺はゆるゆると首を振り、部活用品をまとめて鞄に押し込むと、華乃もどきに背中を押されながら家を出た。 見慣れた通学路を華乃もどきと一緒に、軽く並走する俺。 昨日の医師の話や夢の事も含めて、俺はある決意を固め、口を開いた。 「ーーあのさ」 途中でスピードを落とし立ち止まる俺に、隣を走っていた華乃もどきが気づき、少し前に進んだあと、走るのをやめた。 「どうしたの? 早く行かないと朝練に遅刻するよ?」 後ろを振り向き、キョトンとした顔を見せる華乃もどきに、俺は意を決して言った。 「昨日、病院に行って検査してもらったんだけどさ、脳には損傷なくて、心因的な原因で記憶が混濁(こんだく)している可能性があるって言われて……。状況証拠だけなら、あんたが華乃で、俺がそれを忘れている状態なんだけど、俺がそれを認められなくて、今まできてしまったんだよな……ごめん。」 頭を下げる俺に、華乃もどきが近づく気配がした。ふわりと下げた俺の頭に、華乃もどきの手が置かれる。 「別に怒ってないよ。怒ってない。」 わしゃわしゃと頭を撫でる華乃もどきに、俺は泣きそうになった。ぎゅっと目をつむった後、俺は勢いよく顔を上げる。 「今日からは、その、あんたの事を華乃かもしれないと思って接するから……!」 はとが豆鉄砲食らったときみたいな目で俺を見る華乃もどき改め、華乃(仮)に、俺もどうリアクションしていいのかわからず、一瞬固まる。緊張の糸をほどいたのは、華乃(仮)だった。 「ふっ……、あっはは! いきなり何真剣な顔して言うのかと思ったら! ふふっ」 俺は不満げな顔をして、華乃(仮)をジト目で見てやると、華乃(仮)がさらに腹を抱えて笑い出した。 「あのさ! 俺、真剣に考えて、覚悟して言ったんだけど!」 口を尖らす俺に、華乃(仮)は目尻の涙を指でぬぐいながら言った。 「だって今更な事、言うんだもん! 」 「今さらって!」 俺がくってかかろうとするのを片手で制した華乃(仮)は、泣き笑いながら俺に言った。 「正也、私嬉しいの。正也が私の事、受け入れようとしてくれてるのが。私ね、最悪、正也の記憶が戻らなかったら、1から関係構築し直せば良いや~って、思ってたんだけど、こうやって改めて正也の口から言われると嬉しいもんなんだね。ありがとう、正也」 そう言って微笑む華乃(仮)の顔は、やっぱり見慣れない顔のような気がしたけど、俺はその違和感に蓋をし、俺は華乃(仮)に右手を差し出した。 「改めてこれからよろしくな、華乃。」 華乃(仮)はその手をつかみ、俺と握手をした。 「こちらこそよろしくね、正也!」 ブンブンと縦に腕を振られた後、華乃(仮)は手を離すと、人差し指を俺の眉間に突きつけた。 「そーだ、これ言っとかなきゃ。私はどんなことがあっても、正也の味方だよ。それだけは覚えてて!」 目を丸くした俺に、華乃(仮)は軽く吹き出す。 「なんだよ」 物言いたげな目で見る俺に、華乃(仮)は手をヒラヒラさせて謝った。 「ごめんごめん、悪気はないから。っと、そろそろ本気だして走らないと朝練遅れちゃうよ! 走ろ、正也!」 そして俺の手を掴んだかと思ったら、そのまま走り出す華乃(仮)。 華乃(仮)に引っ張られるようにして走り出した俺は、その背中を見ながら、今の関係も悪くはないなと密かに思った。
/31ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加