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「アンタなんか、産みたくなかったのよ 」
それは、幼い時から母から吐き続けられた言葉。
母が言うのならそうなのだ。父という存在の無い、小さな享にとって母は絶対的な存在だった。
十六歳で俺を産んだ母は、俺が物心つく前から狭いアパートに男を連れ込んでいた。今思うと、頼る身内も無いΩ《オメガ》の母には、それでしか生活する術が無かったのだろう。
狭い押し入れに閉じ込められ、母の泣き声に自分も泣きたくなった。あれは、『泣いている』のではなく、『啼いている』のだとも知らずに。
それでも、母の言い付けを守り、息をころして、決して押し入れを開けることはなかった。
声を出してはいけない。
瞳に写ってはいけない。
俺は、『いらない子』だから。
六歳の時、母が死んだ。ある日、知らない男が突然やって来て、逃げる母を引き倒して首を締めたのだ。ゴブゴブっと、嫌な音が聞こえた。
俺はずっと、柱と襖の隙間からその光景を見ていた。
母の蒼白い肌と、赤いシュミーズドレスのコントラストが網膜に焼き付いて離れない。
押し入れから出た俺は、男が居なくなった静かになった部屋で、動かなくなった母をどうにかしなければと思った。けれども、動かそうと思っても小さな体では母はビクともしない。
冷たくなっていく母を起こそうとして、死体は重いものなのだと生まれて初めて知った。
しかし、やせっぽちの無力な子どもは、もう泣いても叱る者も居ないというのに、亡骸にすがって泣くことさえ出来なかった。
今、起こっていることを自分でもよく理解して居なかったのかもしれない。ただ、ただ、悲しかった。
母は自分の命が無くなる最期の時でさえ、最後まで自分を見てくれることはなかった。
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