大根役者

11/29
前へ
/29ページ
次へ
そうこうしているうちに、就任挨拶の11時が迫ってきた。 私はゆっくりコーヒーを飲みながら、自分で自分に言い聞かせていた。 私は会社の象徴なのだ。 天皇が国の象徴であるように。 私は挨拶をして、ニコニコと微笑み、社員を褒めたり励ましたりするだけでいい。 具体的な仕事は信頼できる社員に任せて、社長というものはデンと落ち着いて構えていればいいのだ。 そこへ、岡田副社長が現れる。 「失礼致します。社長宛てに荷物が届きました。荷物の表面に『急いで開封のこと 大根』との表記がございましたので、こんな時ではございますが、お持ち致しました。」 その荷物。 厚みは20センチ程だが、横2メートル縦3メートルもある大きな荷物だ。 4人の男性社員が壁や天井にぶつからないように気を遣いながら、廊下を運んで来た。 「ありがとう。今すぐ廊下で開けてちょうだい。送り主は?」 「有限会社 ユウ となっております」 そう答えながら、岡田は差し迫る時間を気にして腕時計を何度も見ている。 10時35分だ。 まだ大丈夫だろう。 バカ丁寧に梱包された荷物は、運んで来た社員たちにより手際よく解かれる。 開けた瞬間! 私の全身を強力な電気が走り抜ける。 重みのある隷書(れいしょ)で書かれた 『大根』の文字! c4b6a40b-27cf-435b-b63a-859f203bdc8f その(しょ)を飾れば降って湧いたような幸運が舞い込むと(ちまた)で評判の新鋭書家 『(有)ユウ』氏の直筆である。 https://estar.jp/users/70911147 折りしも我が (おっと) 代理(だいり)の大根から電話がくる。 「昔のよしみで(有)ユウさんに大根の文字を書いていただいた。挨拶に間に合えば、壇上にその書を掲げ、社訓を読み上げなさい。必ず社員全員に幸運が訪れる。」 「ありがとう。今、届いたわ。そうします。」 昔のよしみ、、って。 大根に、どんながあるのだろう。 それより時間がない。 「運んで下さった皆さん。私の就任挨拶に、この額を使いますので、今すぐ会場まで運んで下さい。舞台脇で待機して、私が合図したら、すぐ私の横まで運び、挨拶が終わるまで、皆さんによく見えるように提示して下さい。よろしくお願いします。」 額を運んで来た社員たちは笑顔で速やかに行動を開始した。 私は、大根が奉書紙に達筆な書でシタタメた挨拶文を持ち、岡田副社長と共に、会社の社屋の裏手に立つ訓練棟にある体育館へと向かう。 社員全員が集合できる場所は体育館しかないのだと言う。 訓練棟。 警備会社のため、著名人のボディーガードを派遣する仕事もあり、実戦に備え、そうした部門の者たちは、ここで日々さまざまな訓練を行っている。   体育館には、既に600余名の社員が整然と整列していた。 まるで学校の全校集会の光景だ。 いや、その厳粛なまでに整然たる様子は、まるで某国の軍隊のようですらある。 『大根』の額をもった社員が舞台脇に到着し、私は岡田副社長と会の進行その他諸々確認したところで、ちょうど11時になった。 初めに岡田副社長が挨拶をした。 要件のみを的確に伝えている。 ビジネスマンの(かがみ)のようなスマートさに感心する。 後で、大袈裟に褒めておこうと思う。 岡田の挨拶は3分で終わる。 司会担当の社員から紹介があり、私は舞台中央へと歩み出た。 まず、舞台の上から社員600余名の表情をしばし観察する。 なかなか皆、凛としたいい表情をしている。 この人たちのそれぞれに家族がいて友人がいて、それぞれに生活があり人生があるのだと思うと、重い責任を感じる。 しかしながら、もはや後には引けない。 私は覚悟を決め、深々とお辞儀をした。 「新社長の大西 美令(みれい)です。」 真白 実はペンネームなので、残念ながら幾多の手続きを経なければ社長名には使えない。 夫の後任である以上、苗字は同じ方が社員には馴染むだろうとも思う。 「新しい社長として、新しい社訓を掲げます。」 舞台脇に合図すると、先程の社員のうち背の高い二名が、いつの間に準備したのか、きちんと白い手袋をはめて『大根』の額を持って登場する。 それまで、水を打ったように静まり返っていた会場に、どよめきが起きる。
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

43人が本棚に入れています
本棚に追加