43人が本棚に入れています
本棚に追加
そうこうしているうちに、就任挨拶の11時が迫ってきた。
私はゆっくりコーヒーを飲みながら、自分で自分に言い聞かせていた。
私は会社の象徴なのだ。
天皇が国の象徴であるように。
私は挨拶をして、ニコニコと微笑み、社員を褒めたり励ましたりするだけでいい。
具体的な仕事は信頼できる社員に任せて、社長というものはデンと落ち着いて構えていればいいのだ。
そこへ、岡田副社長が現れる。
「失礼致します。社長宛てに荷物が届きました。荷物の表面に『急いで開封のこと 大根』との表記がございましたので、こんな時ではございますが、お持ち致しました。」
その荷物。
厚みは20センチ程だが、横2メートル縦3メートルもある大きな荷物だ。
4人の男性社員が壁や天井にぶつからないように気を遣いながら、廊下を運んで来た。
「ありがとう。今すぐ廊下で開けてちょうだい。送り主は?」
「有限会社 ユウ となっております」
そう答えながら、岡田は差し迫る時間を気にして腕時計を何度も見ている。
10時35分だ。
まだ大丈夫だろう。
バカ丁寧に梱包された荷物は、運んで来た社員たちにより手際よく解かれる。
開けた瞬間!
私の全身を強力な電気が走り抜ける。
重みのある隷書で書かれた
『大根』の文字!
その書を飾れば降って湧いたような幸運が舞い込むと巷で評判の新鋭書家
『(有)ユウ』氏の直筆である。
https://estar.jp/users/70911147
折りしも我が 夫 代理の大根から電話がくる。
「昔のよしみで(有)ユウさんに大根の文字を書いていただいた。挨拶に間に合えば、壇上にその書を掲げ、社訓を読み上げなさい。必ず社員全員に幸運が訪れる。」
「ありがとう。今、届いたわ。そうします。」
昔のよしみ、、って。
大根に、どんな昔があるのだろう。
それより時間がない。
「運んで下さった皆さん。私の就任挨拶に、この額を使いますので、今すぐ会場まで運んで下さい。舞台脇で待機して、私が合図したら、すぐ私の横まで運び、挨拶が終わるまで、皆さんによく見えるように提示して下さい。よろしくお願いします。」
額を運んで来た社員たちは笑顔で速やかに行動を開始した。
私は、大根が奉書紙に達筆な書でシタタメた挨拶文を持ち、岡田副社長と共に、会社の社屋の裏手に立つ訓練棟にある体育館へと向かう。
社員全員が集合できる場所は体育館しかないのだと言う。
訓練棟。
警備会社のため、著名人のボディーガードを派遣する仕事もあり、実戦に備え、そうした部門の者たちは、ここで日々さまざまな訓練を行っている。
体育館には、既に600余名の社員が整然と整列していた。
まるで学校の全校集会の光景だ。
いや、その厳粛なまでに整然たる様子は、まるで某国の軍隊のようですらある。
『大根』の額をもった社員が舞台脇に到着し、私は岡田副社長と会の進行その他諸々確認したところで、ちょうど11時になった。
初めに岡田副社長が挨拶をした。
要件のみを的確に伝えている。
ビジネスマンの鑑のようなスマートさに感心する。
後で、大袈裟に褒めておこうと思う。
岡田の挨拶は3分で終わる。
司会担当の社員から紹介があり、私は舞台中央へと歩み出た。
まず、舞台の上から社員600余名の表情をしばし観察する。
なかなか皆、凛としたいい表情をしている。
この人たちのそれぞれに家族がいて友人がいて、それぞれに生活があり人生があるのだと思うと、重い責任を感じる。
しかしながら、もはや後には引けない。
私は覚悟を決め、深々とお辞儀をした。
「新社長の大西 美令です。」
真白 実はペンネームなので、残念ながら幾多の手続きを経なければ社長名には使えない。
夫の後任である以上、苗字は同じ方が社員には馴染むだろうとも思う。
「新しい社長として、新しい社訓を掲げます。」
舞台脇に合図すると、先程の社員のうち背の高い二名が、いつの間に準備したのか、きちんと白い手袋をはめて『大根』の額を持って登場する。
それまで、水を打ったように静まり返っていた会場に、どよめきが起きる。
最初のコメントを投稿しよう!