大根役者

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大根が淹れてくれるコーヒーは、夫が淹れるコーヒーより、ずーっと美味しかった。 大根がチョイスして流す音楽は、夫がテキトーに選ぶ音楽より心地良かった。 大根は小説家なので、家から出かける事はなく、パソコンに向かって仕事をしていた。 面白いかどうか私には理解できない野菜のミステリー小説は、農業関係の雑誌に毎月掲載されているらしく、一定の収入があった。 大根は整理整頓が大好きな綺麗好きで、毎日、家の中を隅々まで掃除し家具や窓ガラスはピカピカに磨き上げられていた。 大根は洗濯する際にも細やかな気遣いが行き届き、アイロン掛けも手早く器用に仕上げた。 大根は、すべての家事をこなし、少しでも時間があれば、私の話し相手になってくれた。 大根は小説家というだけあって、いろいろな知識があり、毎日、私の興味がある花や昆虫や動物に関する面白くてためになる話を聞かせてくれた。 入浴する時には、私の全身をやさしく丁寧に洗ってくれた。 頭皮マッサージをしながら髪を洗ってくれるのは、それはそれは気持ちよかった。 入浴中に、のぼせてはいけないからと、冷たい水やレモンスカッシュを持って来てくれたり、入浴後には、アロマオイルで全身をマッサージしてくれた。  大根は、ふとした瞬間、私を見つめて 「愛してるよ」と言った。 「大好きだよ」とキスした。 こんなに大切にされたことは、生まれて初めてだった。 こんなに愛されたことも、生まれて初めてだと思った。 私は、大根が好き。 大根がいれば、他は何もいらない。  何がなんだか、さっぱりわからないのに、私は大根との暮らしに満足し、夫が浮気して、どこかへ消えてしまったことなど、忘れかけていた。
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