オードブル:白い地下室の悪食

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オードブル:白い地下室の悪食

 男は瞼の向こうの眩しさで目を覚ました。  まず目に入るのは真っ白なタイル張りの床。奥に部屋があるのだろうか、白いカーテンがゆらゆらと揺れている。  次いで左右を見る。白い壁だ。恐らく後ろも同じだろう。  頭上にはチカチカと明滅する蛍光灯。  瞬く白い光で(まなこ)の奥が焼けそうになる、そんな小さな部屋に男はいた。  華奢な猫足の椅子に座らされて、両手足を強固な縄で拘束されている。口には猿轡を噛まされ、窮屈さからか、それとも恐怖からか、広い額にじっとりと脂汗を滲ませていた。 「目が覚めましたか?」  カーテンの奥から黒いエプロンを付けた金髪の青年が現れた。歳は若い。30歳には至っていないように見える。翡翠の瞳が埋め込まれた目を優し気に細めて、口許にはうっすらと柔らかな笑みを浮かべてすらいる。 (この青年が……自分を?)  とても信じられなかった。  彼の腕は鍛えた事など無さそうな細腕で、立ち振る舞いからも異様さなどは感じられない。普通の、善良な人間に見える。いや、この状況で普通に振舞えること自体がおかしな事ではあるのだろうが。 「どうしてこんな事をするのかって顔をしてますね?」  青年がゆったりと口を開く。歌うような、柔らかな口調だ。 「()えて言うなら…………彼女の味が知りたかったから、ですかね?」  その言葉を聞いて男は驚愕によるうなり声を上げた。彼女、どの女性の事かはわからないが、自分が関わっている可能性がおおいにあると、男は良くわかっていた。 「私には昔から、妙な癖がありました」  昔話をするように、懐かしそうに青年は語り始める。その手で弄んでいるのは、大きな肉切り包丁だ。 「好きになったものに対して、偏執的なまでに興味が湧くのです」  くるくる、くるくるり。  大ぶりの刃が閃く。良く手入れされているのだろう、歯こぼれ1つない綺麗な(やいば)。 「笑顔はもちもん、怒った顔も、泣いた顔も、悔しがる顔も、全て見てみたい。昨日何してたのか、何を食べたのか、何を好きになったのか、嫌いになったのか…………そんな事を考えているうちに、その身の味まで知りたくなるようになったのです。しかし、それは許されない事。明日の私の隣に彼らがいなくなる。その考えだけが私を思い止まらせる(くさび)であったのです。…………ああ! けれど!」  青年は悲嘆に暮れるように叫んだ。顔を両手で覆い、 「彼女はいなくなってしまった! 私が、私があの白く細い首に手を掛けるその前に! 私にはけして手が届かない場所に行ってしまったのです! ああ、ああ! なんという悲劇でしょう! なんてやるせないんでしょう! こんな事になるのなら、拝み倒してでも指の先ぐらい齧っておけば良かった!!」  ヒステリックに叫ぶ青年に怯えるように男は唸り声を大きくする。逃げようともがくが、椅子が床に固定されているのだろう、ガタリとも動かない。その様を見て、不意に静かになった青年は、今度は静かに嘲るように笑う。小刻みに揺れる身体。歓喜か興奮か、その翡翠の瞳はうっすらと涙で濡れていた。 「ふふ、ふふふ……。貴方、私が何も知らないとでも思っているのですか?」  口許に人差し指を添えて小刻みに笑う。これは彼の、昔からの癖でもあった。  男は今更ながらに、目の前の青年が誰なのかを思い出した。そして、そのために此所から一刻も早く逃げなくてはならないと思った。  彼は必ず自分を殺すだろう、確信めいた直感が男の脳裏をよぎる。 「そんなに怯えないで」  そっと、男の肩に青年の手がかかる。長くてしなやかな指。爪の先が鮮やかな緑色に塗られている。  彼の顔は不自然な程に優しい。眉尻を下げた細い眉も、桜色の頬も慈愛に満ちてすらいる。その中で、 「私はただ、貴方の味が知りたいだけなんです」  形の整った薄い唇だけが、狂喜に歪んでいた。
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