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1:迷宮直送のスープ
――アンドレア王国。
周囲を海に囲まれた魔術師が治める小さな島国。国民の7割は人間で、種族間の確執や、政治における派閥間の小競り合いはあれど、目立った争いもない、平穏そのものといった国だ。
その北部に位置するのは首都シャハル。この国の昔の言葉で夜明けを意味する都市には、絢爛な城下町が広がっている。‘‘古書の都’’とも称されることもある城下町は、書店や読書のできる喫茶店などの本に関する施設が多い。そう大きなものではないが白と銀を基調とした豪奢な造りの城を中心に円を描くようにオレンジ色の屋根が連なっている。それらはどれも似たような白壁をしているために、謀らずとも迷路のような造りになっていた。
その中でも更に奥まった路地。人がひとり通るのがやっとというような、そんな小路の先にその店はある。
街の外観に溶け込むように白く塗られた壁の上に乗るのは、目を引く程の真っ青な屋根。ステンドグラスの嵌め込まれた扉には『closed』の木札が掛けられていた。
『悪食の箱庭』
ゲテモノ喰いによるゲテモノ喰いのための店。観光地として賑やかなアンドレア王国内でも他に類を見ない、知る人ぞ知る迷店である。
「エセルはいるかい?」
『closed』と掲げられているにも関わらず戸を叩く者がいた。
黒いローブと三角帽、そこに施された銀の意匠と装飾を見れば、アンドレア国民なら彼が王国お抱えの魔術師であるとわかるだろう。銀の時計は魔術学校の卒業生である証、飛翔するトンボのエンブレムは国の象徴だ。鍔に並んだ6つの星は、そのまま星の数が彼の実力の高さを示している。
「はいはい、エセルさんはいますよ……って」
近くにいたのだろうか、間を開けずに開かれた扉の奥から金髪の青年が顔を覗かせた。歳は20代半ばくらいとまだ若々しい。この店の店主であるエセルバード・カッターだ。
黒いエプロンで濡れた手を拭きながら扉を支える彼は、目の前の魔術師を見て、その大きな翡翠色の目を心底嬉しそうに細めた。
「これはこれは! アンドレア王国が誇る天才魔術師、エルドレッド・カルバート様じゃあないですか! こんな豚小屋と棺桶に両足を突っ込んだような場所に一体全体どんな御用事で?」
「……君はいちいち仰々しいね」
大きな身振りで感情表現をするエセルに驚いたように目を見開いて、気まずげに目を逸らしながらエルドレッドは大きくため息をついて帽子を脱ぐ。空色を溶かしたような、不思議な銀髪が零れ落ちてきた。長く伸ばしたそれを、ざっくりと大きな三つ編みにして垂らしている。気だるげな黄金の瞳といい、恐ろしく顔の整った青年だ。
彼がふわりと帽子を投げると、帽子は瞬く間に宙に融けて消えた。実際には消したわけではなく、彼の工房に飛ばしたと言う表現の方が正しい。彼が呼び戻せば、同じように手元に現れるだろう。
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