1:迷宮直送のスープ

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「とりあえず中に入れておくれ。話があるんだ」 「ややっ、困りますお客様! 当店は現在準備中でして!」 「別に構わないよ。君のところのご飯、食べられたもんじゃないし」 「まあ、まあ、まあ〜!! この八方美人教師のくせに! まっとうなリストランテに対して何という言い(ぐさ)なんでしょう! 善良で潔白な店主は大変傷つきました! 慰謝料として1番高いものを注文してください!」 「絶対に嫌」  大袈裟な身振りで来店を拒もうとする店主を押し退けて店内に入る。エセルは「もう! もう!」とこれまた大袈裟に頬を膨らませたが、見慣れた光景であると素知らぬ顔をする。  2人のやり取りは気安いように見える。彼らは同じ学舎で魔術を学んだ友人であるのだから当然と言えば当然だ。けれど、エルドレッドは内心でほっと胸を撫で下ろしていた。  なんせ、エルドレッドと彼は2年前にひどい別れ方をしたきりだったものだから。  店内は涼しげな外観とは対称的に、木造の暖かみのある内装をしていた。その中でも目立つのが、一面ガラス張りになっている奥の壁だ。そこからは季節の花が咲き乱れる見事な中庭が良く見えた。  魔術を施してあえて暗くしてあるらしい、外は快晴だというのに店内は薄暗い。その安寧めいた薄闇を宙に浮いた丸いオレンジ色のランプが、ゆらゆら、ぼんやりと照らしている。  カウンター席にある小さな丸椅子の上に腰かけたエルドレッドは少し疲れた顔をしていた。多趣味で多才な彼が、国内の事件に東奔西走していることはエセルの知る所でもあったので、そう可笑しな事ではない。 「珍しいですね」  その言葉はそういう姿を見せた事に対してかけられている。 「格好つけの貴方が目に見えて憔悴してるじゃないですか。よほどの事が起こりましたか? ……弟さんに嫌われたとか」 「ザカライアが僕の事を嫌うわけないじゃないか。ひっぱたいてやろうかな」 「相変わらずの綺麗な顔した蛮族ぶりですね」 「ひっぱたいた」 「事後申告やめてくださいよ……」  頬を抑えながらエセルは後ろの棚から白いカップを取り出す。その手が市販のドリップ珈琲に湯を注ぐ様をエルドレッドは注意深く観察していた。 「そんなに見つめなくても大丈夫ですよ」 「君が牛乳の代わりにミルクワームの絞り汁を入れたの忘れてないからね」  ミルクワームは牛乳を主食にする蛾の幼虫だ。しかしながら牛乳を飲むのは成虫になってからで、幼虫は牛乳を飲まない。つまるところミルクワームの絞り汁とはただ虫の体液を搾って()したものだが、何の因果かハニーミルクのような味がする。  エルドレッドは学生時代にこれを飲まされ、正体を知って、そして泣いた。 「2年以上も前の事をいつまでも根に持たないでくださいな。しつこい男は嫌われますよ」 「僕が? 冗談でしょ」  驚くほどに澄んだ瞳をしている。彼は自分の容姿に絶対的な自信を持っていた。 「……いつか刺されますからね」  やれやれ、とエセルは肩をすくめた。かちゃりと音を立ててカップを彼の目の前に置く。ふわ、と薫る見知った珈琲の匂いは、エルドレッドの(まなじり)を緩ませた。 「それで、何があったんです?」 「……君は、この辺りで起きている事件を知っているかい?」  カップで両手を暖めながら放たれた言葉には心当たりがあった。  少し前から城下町では女性や小さな子どもの行方不明事件が多発していた。一人暮らしの女性や、身寄りのない子どもがいつの間にかいなくなっている。今まではあまり大きく取り上げられることもなかったが、つい最近に生後間もない赤子が忽然と姿を消した事で、大きく話題にあがった事件だ。 「赤ちゃん、見つかったんですか?」  エルドレッドは顔をしかめて頷いた。その顔からは嫌悪感が滲み出ている。 「ああ、調理済でね」
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