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「これは何?」
「コンソメスープですけど?」
「何を入れたのかって訊いてるんだよ」
真っ青な顔で目の前の鍋を見つめるエルドレッドに「見た目がまともなだけ、良心的だと思いますけどねぇ」とエセルは呆れる。まともだと思っているのは彼だけだと気づいていない。ゲテモノ料理を提供し過ぎて、まともの基準が馬鹿になっているのだと、エルドレッドは恨めしく思った。
「液体に見えるのは生スライムです。郷土料理で干しスライムって売ってるじゃないですか、あれの加工前の姿です」
「つまるところスライムじゃないか!」
「あれは身体の殆どが胃袋と胃液で出来た生き物ですからね。よく洗って胃液を落とせば生でも大丈夫です。野良スライムだって核以外は食べられますよ。……その子はこの料理のために品種改良した養殖スライムで、生食出来る部分が残るよう胃袋が肉厚なのが特徴です。この状態でも生きていますが、躾により外からの反応に一切抵抗しません。移動能力を持たせていないので、いわばその場で揺れるだけの生きた寒天……といったところでしょうか」
「倫理って知ってる? スライムの話題に野良とか養殖とか躾とか付くの、僕は初めて聞いたよ」
「豚も牛も鳥も、より美味しくするために品種改良するじゃないですか。なら私がスライムを改良したっていいでしょう」
一切の表情を変えずに宣う料理人に、臨時の従業員は「もうやだ」と両手で顔を覆う。
別にスライムにこれといった思い入れがあるわけではないけれど、実際にどこをどう改良したと言われるとなけなしの良心がざわつくいて仕方がない。
「野菜は普通の野菜ですよ。キャベツとジャガイモとニンジン、それからタマネギですね。良かったじゃないですか」
「僕の知ってる普通の野菜には足は生えてないんだか?」
「不思議な事に迷宮で育てたら生えて来たんですよ」
「迷宮で農業すんな!」
たまらず叫んだ。
迷宮は魔術によって造り出された空間の総称だが、一般的にその中でも大型のものを指す。スライムをはじめとした魔法生物が生態系を構築しているような迷宮は、非常に高度な魔術が用いられた危険なものだ。アンドレア王国では入るのにも、崩すのにも、研究するのにも、とにかく国家資格がいる。
そんな危険きわまりない所で農業だなんて、頭のネジが外れているのは承知していたが、己の命を省みないのは頂けない。
「ちなみにどこの迷宮だい? ここから近いのは‘‘箒星の丘’’かな、君の箒の腕前なら‘‘天空要塞シレネ’’までは行けそうだけど」
「まさか、そんな遠くまで行きませんよ。野菜は鮮度が命ですから!」
そう言ってエセルは中庭の方を指差す。
慌ててガラス張りの中庭を覗き込めば、季節の花に隠されて目立たないが、ぽっかりと地下へ繋がる階段がある。隠す気のない、魔術の気配。
「自宅に! 迷宮を! 作るな!」
開店前の店に、新人従業員の悲痛な声が、むなしく響く。
猟奇事件の犯人よりも先に、目の前の友人を捕まえなければならないような気がしていた。
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