吾輩の妻は猫である

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 最愛の妻、舞子が若くして身罷った。コロナで・・・入院先で・・・その訃報を知った時、紀藤は只々絶望した。看取ることも出来ず、死に目にも会えず、嗚呼、何という非情な死に別れ・・・  通夜、告別式を済ませた紀藤は、執筆活動も碌々せず、書斎机に頬杖を突いている時なぞに寄り添って来る愛猫、ヨギの異変に気づいたのは、四十九日の法要を済ませた後だった。  この仕草、この媚び方は舞子を彷彿とさせる・・・そう言えば、この頃、ヨギといるだけで寂しくない。そうか、法要の時、成仏を祈るより俺の下へ帰って来てくれと切に願ったお陰でヨギに舞子の魂が乗り移って・・・そんな超常現象が起き、ヨギが舞子自身に、そうだ、俺は舞子が死んだのを見た訳じゃない。この手が俺の手に見えれば、この手が俺の手であるようにヨギが舞子に見えれば、ヨギが舞子なんだ。そう自分の手に向かって呟いた。  錯覚にしても偉く度外れた錯覚である。紀藤は舞子を失ったショックの余り気が狂ったのだろうか?それとも紀藤自身もコロナに感染して、その後遺症でブレインフォグになっているのだろうか?  ところがところが強ちそうでもなかつた。  ある日、ファンレターをよくくれる妙齢の女性、美緒の訪問を紀藤が受けた時だった。  応接間で二人が会話を楽しんでいると、ヨギはそれこそ猫足でこっそり応接間に入って来た。  折しも紀藤は美緒が舞子に見えて来て、この方がよっぽどリアルだナチュラルだと思った瞬間、ヨギが美緒に襲いかかったのだ。  それはもう猛虎の如しで美緒は敢えなく這々の体で退散した。 「妬いて怒ったんだね。ごめんよ浮気心を起こしたりして」と紀藤はヨギの頭を撫でながらヨギを宥めてやった。  すると、「ミャア」とヨギが鳴いた刹那、紀藤ははっと気づいた。俺は可笑しいと漸う疑ってみたのだ。奇怪だ。猫を妻だと思うなんて実に奇怪だ。何か異常があるのではと思ったものの精神病院には行きたくなくて、せめて陰性の結果を得て安心しようとPCR検査を受けに行ってみたところ、陰性だったので取り敢えず安堵の胸を撫で下ろした。  その夜、寝床に就くと、ヨギが布団の中に潜り込んで来た。それだけなら珍しいことではなかったが、紀藤の横に人間のように妻のように仰向けになって寝てしまったのだ。 「嗚呼、お前はやっぱり舞子なんだね」  紀藤はそう呟くと、安心し切って眠るのだった。  翌朝、紀藤がヨギを完全に妻と信じ込んだ証拠となることに舞子の仏壇を叩き壊して焼却炉に焼べてしまった。  斯くして紀藤は執筆活動を元気よく再開した。題して、「吾輩の妻は猫である」そして脱稿し上梓すると、購入した美緒が紀藤にファンレターを送った。  拝啓、梅花の候、紀藤先生におかれましては益々ご活躍の由、何より重畳と存じます。私事ではございますが、「吾輩の妻は猫である」を拝読させていただきました。先生らしく天馬空を行くが如く着想が自由奔放で面白いの一言ですね。それで私、好いことを思いついたんです。舞子さんの魂が私に乗り移れば好いんじゃないかって。だって妻は猫より人間の方が好いに決まってるじゃないですか。どうか猫から私に舞子さんの魂が乗り移るようにお祈りしてください。そうなされば必ず・・・私、舞子さんの怨念に取りつかれても構わない、それ位の覚悟、つまり、それ位の紀藤様への愛が私にはございます。私、変でしょうか?そう、私、変になる位、紀藤様を愛しております。お慕い申しております。私、猫に負けて逃げてしまったことが悔しくてならないのでございます。どうか、私の愛を受け止めてください。  尚、花時は気候不順になりがちですのでどうぞご自愛ください。美緒より  これは純然たるラブレターだ。俺の愛読者だけに随分思い切ったものだ。彼女は烈女だからな。悪くないが、舞子が許してくれるだろうか。ま、兎に角、ヨギに囁いてみるか。と思った紀藤はヨギに訳を話してみると、なんとヨギが舞子の声で話し出した。 「あなたが望むなら私、美緒さんに乗り移っても好いわ。だって夜の営みの時、あなたが気の毒になるんですもの。うふ」  紀藤は肝を潰さんばかりに驚きながら言った。 「そ、そうか、じゃあ、そうしてもらおうかな」  すると、ヨギの物腰がすっかり猫に戻り、にゃあにゃあ言い出した。  やがて自家からすっ飛んで来た美緒が紀藤邸を喜び勇んで訪れ、遠慮なくずかずかと上がり込んで来て紀藤を捕まえるなり満面笑顔で言った。 「私、今日からあなたの奥様ね!」 「そうだよ」と紀藤は歓喜して答えると、女に飢えていただけに美緒をひしと抱きしめた。至幸なことに舞子その物のように感じながら・・・
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