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人生を買った女
気分転換をしても、事態が好転するわけでも、劇的な何かが起こるわけでもない。私は相変わらず、一軍のリーダーの姫子に目を付けられていた。
そんな中、他の一軍メンバーがロケに行っている時に留守番となっていた私の元にやってきたマネージャーがピンチヒッターとして、クイズ番組に出てほしいと言い、出ることになった。
どうやら、アイドル枠で出るはずだった他の事務所の子が食中毒になって私が代わりをすることになったみたい。雑学問題がいくつも出て、何度も「詩織と勉強したことだ」と既視感を覚えながら、答えた。
クイズ番組のチャンピオンや他のクイズ番組の常連の人達には結局勝つことはできなかったが、「アイドル枠で来たんじゃなくて、刺客枠できたのかと思ったよ」とチャンピオンの人に言われて、嬉しくなった。
たぶん、それがいけなかったんだと思う。
そのクイズ番組が放送された次の日、私の実家の住所と電話番号がネットに曝されていた。曝したのは三軍にいた女の子だ。前々から姫子に媚びを売っていた一人。私と仲がいいからと詩織に対してもわざと肩をぶつけていたりしていた性格の悪い子だった。
その子は事務所から追い出された。
私はすぐに実家に電話をした。電話に出たのはお母さんで「鬱陶しいからもうかけてくるな!」とこちらが声を出す前に電話を切られてしまった。
一週間後、私の実家が燃えたという報せが親戚から届いた。お母さんもお父さんも軽度の火傷で済んだみたいなのに、二人からの連絡はなく、私に火事を報せてくれたのは私の従兄弟だった。
やっとお母さんから電話がかかってきたと思って、電話に出ると私の声を聞くより前に「もうあんたと関わると碌なことがないから縁を切るわ。お父さんも同じ思いだから、引っ越し先は絶対に教えないから」とだけ言われて、電話を切られてしまった。
放火されたという話が持ち上がり、ネットでも誰の仕業かという話が溢れた。
アイドルメンバーによるいじめか、それとも私の熱狂的なファンか、もしくは私が家族を煩わしく思い消そうとしたか。
責任もなにも持たない推論がネットでは飛び交い、アイドルグループのマネージャーからは少し休んだらどうかという話が出た。
その話を受けて、事務所を出るとちょうど灰色の分厚い雲から雨が降り始めた。傘も持ってきていないのに。
私の足はとある場所に向かっていた。
「いらっしゃいませ」
私はずぶ濡れのままカウンターに飛びついた。
「他人の人生をちょうだい。今の私じゃない、アイドルも芸能界もなにも関係のない人生を」
マスターは微笑んだ。
「お任せを」
彼はどこからともなく、私にタオルを渡すと、私に様々な質問をしてきた。
なりたい人間のイメージ。国籍。年齢。性別。立場。体型。事細かに聞いて、私の目の前に三つのファイルが広げられ、三人ほどの私じゃない人の顔写真や情報が広げられる。
大学生。社会人。主婦。
その三人の人生は生い立ち、人生を買った後、どのようなスタートになるのかを事細かに聞いて、私は茶髪のロングの社会人の女性を選んだ。
すると、ファイルの透明なシートに収められていた茶髪の女性の髪をマスターが引き出す。おさまっていた紙は引き出されて、皮膚のような肌色の何かに変わった。
でろんとマスターの手から垂れ下がったそれの両目と口の部分に穴が開いていて、マスクのようにも見えた。
「お金は」
「お代はあなたの人生をいただきます」
なんだ、そんなものか。
「私が人生を売ったら、その後は元の私の人生に関わった人とは関わっちゃダメとかそういうルールはある?」
「ございません。お客様が買った人生をどう過ごそうが私には関係ございません」
「それなら、最高じゃない。私の人生、売るわ」
マスターが私にマスクを被るようにと人間の皮膚でできたようなマスクを差し出してきた。
一ヶ月後。
社会人にも慣れてきた。ファッション誌の編集部での仕事は私の性に合っていたみたいだ。新しい名前と新しい姿というのは本当のことで私はアイドルの玲奈ではなくなった。
同僚も優しい人ばかりだし、この人の両親は事故で死んでしまっていて、親戚もいないらしい。
ふと、出勤途中、ビルの上の広告の映像を眺めると、一人のアイドルがセンターになったという宣伝映像が流れていた。アイドルグループ内の腐敗を取り除き、一新したアイドルグループのセンターに輝いている私だったはずの身体と顔で、私ではないはずの誰かが、笑顔を振りまいていた。
一ヶ月前から、詩織とは連絡がとれていない。アパートに行くと行方不明になったと大家が話していたのを聞いて、私はもうなにも考えないことにした。
私は宣伝動画から目を離して、職場を目指す。
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