押入れ

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押入れ

  俺の母方の祖母が、老衰で他界した。  空き家となった祖母の家は、築70年という長きに渡り、そこに住む祖父母や母達の生活を支え続けた。しかし、家を継いで住む者が誰もおらず、老朽化も相まって取り壊されることとなった。  幼い頃、母に連れられよく遊びに来た祖母の家。思入れもあった俺は、息子の夏休みに妻も含めた3人で、取り壊される前に一目見ておこうと誘った。そして、車を4時間走らせる──。  祖母の家は、米農家が点在する広大な田んぼ道を進み、やがて見えてくる山の麓に位置する。俺は砂利の駐車場に車を停め、降車すると大きく背伸びをした。 「ぬぁ~疲れた……」  続いて妻と子供が車から降りてくる。都会育ちで、中々見る機会のない田舎風景に、興味津々な息子。 「ここがひいおばあちゃんの家?」 「そうだよ。お父さんはお前と同じくらいの歳の時、よくここで遊んでいたんだ」 「え~!? 田んぼと林しかないじゃん! 何して遊んでたの!?」  最近の子供はスマホで動画やアプリゲームばかりで、自然と触れ合って遊ぶことに疎い。俺が当時の遊びを話しても、余りピンとは来ないだろう。 「走り回ってたよ。近所の子供らと、カブトムシとかクワガタ追っかけ回したりしてな」 「何それ~。何が楽しいの?」  まぁ予想通りの反応。落胆する程のことでもない。時代とは、文明の進化に伴って移り変わるもの。 「お前にはわからんかな。俺らが子供の時、カブトムシは生きる宝石みたいなもんだったよ」  息子は、俺の言葉に対して意味不明と言わんばかりに肩をすくめた。 「ふ~ん」 「家の中、入れるぞ」  今日ここに来ることを、お袋へ事前に連絡していた俺。鍵はかけてないらしいとのこと。  祖母の家は、見るも無残なほど朽ちていた。瓦屋根は所々が剥がれ落ち、野地板は穴だらけ。外壁の土壁も削ぎ落ちたのか、数カ所は地面に溢れていた。それを見た妻が、寂しそうに呟く。 「なんか家が可哀想だね……」 「人が住まなくなると、家ってのは途端に劣化が早まるのさ。仕方ねぇよ」  中に入ると、昼間だというのにやけに薄暗く、生活感は完全に消え失せている様子だった。台所や棚には埃が積もり、畳はへこんで今にも踏み抜けそうだ。祖母がよく編み物をしていた縁側の板間も、当時の色が褪せて白く変色していた。  かろうじて残っている面影。形あるものはいつか崩れるという虚しさが、胸中にじわじわと押し寄せてくる──。  居間へ入ると、昔こたつをみんなで囲んでいた情景が蘇る。  中学生の時、お袋と兄、俺の面子で話していたことを思い出した。それは、お袋が子供の頃に体験したある不思議な話──。  お袋がお茶を啜りながら、何かを思い出したように話し始めた。 「私ね、子供の頃は小学校から帰ると、いつもお手伝いのおばさんが家に来ていたんだよ」  意外過ぎるお手伝いさんの存在。この家が金持ちだったのかと疑問に思った兄と俺。 「お手伝い? 家政婦さんなんて雇ってたの?」 「家政婦さんっていうかね、近所のカズコおばさんが、お母さんとお父さんが帰ってくるまでの間、私の面倒を見てくれていたのよ」  祖父母はお袋が子供の頃、共働きで夜まで家に戻らなかった。帰ってもお袋一人になってしまうということで、カズコおばさんが夕飯を作りに家へ来ていたらしい。だがそのカズコおばさんの家には、お袋と同じくらいの子がいたと言う。頬杖をつきながら、兄が尋ねた。 「え? じゃあその子は、家に一人で留守番してたわけ?」 「そうよ。でも私、カズコおばさんの家に行ってその子と遊んでたのよ」 「は?」 「学校から帰ってきて、カズコおばさんがウチに来たら、入れ替わるように私がカズコおばさんの家に行くって感じ」  兄が空かさずツッコミを入れる。 「ややこしいな、何だそれ? 本来の目的見失ってないか?」 「まぁ細かいことは気にしてなかったわ。私はご飯が出来る頃に帰るのよ。それでその子、ヨシコちゃんって子だったんだけど──」  お袋はその日も、カズコさんの家でヨシコちゃんと遊んでいた。黒髪のおかっぱ頭で活発なヨシコちゃんは、お袋とすぐに仲良くなれたそうな。  ヨシコちゃんが、お袋にある遊びの提案をした。 「──ねぇねぇ! 『探し物遊び』しようよ!」 「いいよ!」  探し物遊びとは、お互い家の中にある物を指定し、先に見つけた方が勝ちというもの。 「しゃもじどこにある~?」 「おはじきどこにある~?」  同時に探し始め、ヨシコちゃんが簡単におはじきを見つけて勝利した。 「負けちゃったー!」 「わーい! じゃあ次はねぇ──」  普通に考えて、他人の家でそれをやれば、お袋が不利なのは明白。勝負になるはずもない。 「お手玉どこにある~?」  お題を先に挙げたヨシコちゃんに対し、何度も負けてしまっていたお袋は、彼女にとって意地悪なお題を出した。 「ヨシコちゃんのお母さんどこにいる~?」  一瞬、真顔になったヨシコちゃんはしばらく沈黙した。そう、見つかるはずがないのだ。ヨシコちゃんのお母さんは、お袋の家にお手伝いで夕飯の支度をしているのだから。  しかし、ヨシコちゃんは少し強気な口調で応えた。 「いるよ!」 「……え?」  そんなはずはない。負けたくない一心で、ヨシコちゃんは嘘を付いているとお袋は思い、口を尖らせて反論した。 「嘘だね! じゃあどこにいるの?」  彼女はその問いに無言で、二階を指差した。 「上にいるの?」  ヨシコちゃんがこくりと頷く。 「じゃあ見に行こ!」  お袋は「いるもんか」と自信満々で彼女の手を引き、二階への階段をギシギシと音を鳴らしながら上った。  二階は和室が二間あり、片方は主に寝室として使われ、もう片方が荷物置き場となっていた。 「どっちのお部屋?」  ヨシコちゃんの指差す方は、意外にも荷物置き場の部屋だった。  入り口の襖が半分開いており、使わなくなって処分に困ったタンス等の家具や、季節物の服が吊るされているのが見える。どう考えても、人が生活するような空間でないのは確か。  ヨシコちゃんはお袋を追い越すと、辛うじて歩ける隙間を縫って、部屋の奥にある押入れの前に立った。 「……ここにいる」  押入れを指差すヨシコちゃんは、神妙な面持ちをしている。 「押入れの中~? じゃあ開けて見せてよ~」  勝ちを確信して揺るぎないお袋は、半ば小馬鹿にしたように指示をする。ヨシコちゃんは押入れの襖に手をかけ、ゆっくりと開けた。 「ん~? いないじゃん」  押入れは中段棚を境にして、上下に分かれていた。目に入った上段には、布団が所狭しと詰められ、人が入る余地などない。 「下だよ」 「え?」  お袋が屈んで下段を覗き込む──。  そこには、ボロを着て痩せ細った老婆が、脚を抱えて座っていた。 「……わ!」  驚いたお袋は後退りしたが、すぐ背後にあったタンスに阻まれた。  よく見ると、老婆の顔や腕は痣だらけ。襖を急に開けられたというのに、こちらを見向きもしない。長く伸びた白髪は、何日洗ってないのか分からない程に黄ばんでいる。もはや生気すら感じさせない雰囲気だった。  その老婆を見下ろすヨシコちゃんが、不気味な笑みを浮かべる。 「……うわぁぁ!」  恐怖に駆られたお袋は、急いで階段を駆け下り、その家を飛び出した。道行く通行人で農家の格好をしたおじさんが、泣きじゃくるお袋を見て声を掛けた。 「ど、どうしたんだい!?」 「この家の押入れに、おばあちゃんが怪我して閉じ込められてるの!!」 「何だって!?」  おじさんは家を見上げると、お袋の頭に手を置いた。 「……分かった。おじさんが見てくるから、君はここで待ってなさい」 「……うん」  そう言われたが、一人になるのが怖くなり、おじさんの後について行ったお袋。玄関に戻ると、ヨシコちゃんが立っていた。 「この家の押入れにおばあちゃんがいるって聞いたんだが……」  おじさんの質問に、ヨシコちゃんが静かに返す。 「そんなのいないよ」 「嘘だ! さっき押入れの下で、おばあちゃんがうずくまってたじゃん!!」  強く反発するお袋を、おじさんが静止した。 「……ちょっと上がらせてもらうよ」  おじさんを先頭にして、3人は押入れの前まで来た。閉じられた襖。ヨシコちゃんが閉めたとしか思えない。 「ここかい?」  お袋が涙ぐみながら頷くと、おじさんは気合いを入れるかのように深く息を吐いて、襖を勢いよく開けた。  しかし、押入れの下段には布団が詰められ、先程までいたはずの老婆は忽然と姿を消していた。 「……あれ?」  狐につままれたような顔で立ち尽くすお袋。おじさんもホッと胸を撫で下ろし、安堵の表情を浮かべた。 「いないね……」 「だから、いないって言ったでしょ?」  淡々とそう呟くヨシコちゃん──。  その日を境に、お袋はヨシコちゃんの所へ遊びに行くことはなくなった。祖父の収入も落ち着き、祖母が仕事を辞めたので、カズコおばさんもお手伝いに来なくて済むようになった──。  高校生になったお袋は、ふとヨシコちゃんを思い出し、台所に立つ祖母へ聞いてみた。 「ねぇお母さん。カズコおばさんっていたじゃない? 昔ウチにご飯作りに来てた人」 「ああ、引っ越しちゃったカズコさんね。どうしたの?」 「あそこのお家に、ヨシコちゃんって娘さんいたでしょ? 元気にしてるのかなぁって」  手拭いで手を拭きながら、首を傾げる祖母。 「え……カズコさん、娘さん何ていたかしら? 独身だった気がするんだけど」  お袋は血の気が引いていく感覚に襲われた。よくよく思い返せば、当時ヨシコちゃんのことを両親に話したことはなかった。ならばあの子は誰の子だったのか。また、押入れにいた老婆は一体何だったのか──。  こたつで剥いたみかんを、少し青ざめた顔で食べる兄。 「……いや怖すぎワロタ」  苦笑いするお袋。 「お母さん、霊感あるのかね。高校生の時も 柳で首吊りしてる幽霊見たし」 「もうやめようぜ~。夜寝れねぇわ」──。  話はそこで終える。しかし、俺は今になって思う。  ヨシコちゃんや老婆は、幽霊なんかではない。確かにカズコおばさんの家にいたのだ。だがカズコおばさんは、二人の存在を周知していなかった、もしくは気付かなかったのではないかと──。
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