10人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
「じゃあ美琴は、文芸部、演劇部、剣道部が結託した部活紹介に、何も知らずに乗り込んじゃったの?」
打ち明け話を締めくくると、茉優は腹を抱えて笑い出した。「あはははっ、天然すぎる!」と叫んだので、「しっ、声が大きい!」と訴えた美琴は、教室じゅうの視線を気にした。
事件翌日の昼休みは賑やかで、誰も美琴たちの密談に気づいていない。だが、一人の男子生徒だけは、もしかしたら気づいているだろうか。穴があったら入りたいくらいの羞恥心がぶり返して、美琴は昨日の椿事を回想した。
――『俺、この高校で演劇をやりたくてさ。上級生の部活紹介が始まるよりもずっと前に、演劇部の部室まで見学に行ったんだ』
そう言って体育館の舞台袖ではにかんだのは、クラスのイケメンの速水玲だ。壇上で繰り広げられたショーに場が沸き立つなか、美琴のようにこっそりと新入生の列を抜けてきて、何も知らない美琴に事件の裏側を教えてくれたのだ。
『もう入部する気でいるって伝えたら、今回の計画を知らされて、協力することになったんだ。早期に入部希望を出した生徒に、根回しをする伝統なんだって』
『ほら、部活紹介の時に眠そうにしてる新入生、けっこう多いからさー。各部活の得意分野を活かして、場を盛り上げたってわけだよ』
剣道部主将も、なぜかノリノリで説明した。文芸部部長の女子生徒も、申し訳なさそうに微笑んで、『先生たちもシナリオは了承済みだけど、今回の鎧塚さんみたいに誤解する子が出たら大変だから、明らかに演劇だと分かるように、小道具は敢えて下手に作ってあるし、演劇初心者の速水くんにも協力してもらったの。あと、機材を壊したら放送部に怒られるから、マイクスタンドからすぐに離れる手筈だったのよ』と補足したので、合点がいった。あの不審者の一挙手一投足には、ちゃんと意味があったのだ。紛い物の殺気を本物の殺気と勘違いした美琴は、頬の火照りを冷ますのに必死だった。
つまり、今回の出来事は、三つの部活による過激な部活紹介であり、文芸部部長が刃物を突きつけられた直後に速水玲が声を張ったのも、演劇部の仕込みだったのだ。
『俺が『要求はなんだ』って台詞を噛みながら言ったあと、鎧塚さんは聞いてなかったみたいだけど、刃物を突きつける不審者役を務めてくれた演劇部部長の台詞は、こう続いたんだ。『入部届の欄に「演劇部」と書け』ってね。そこで、剣道部主将が不審者をやっつけにくるシナリオだったんだけど……』
『そこで、私が割り込んだのね……』
目出し帽を被った演劇部部長は、美琴の登場をサプライズだと思ったらしい。しかし、竹刀で迫る美琴が鬼神そのもので、恐怖のあまり気絶したという。目を覚ましてからは「あの逸材は、いつ入部するのか!」と元気に騒いでいたそうなので、怒っていないことに美琴は心底ほっとした。結局、美琴の早とちりを知る人間は、ごく僅かな上級生と速水玲だけなので、恥が高校じゅうに知れ渡らずに済んだことにも安堵している。
ただ、不安がゼロになったわけではない。まだ笑い続けている茉優に、美琴はおずおずと小声で訊いてみた。
「茉優は私のことを、ゴリラとか破壊神って言わない?」
「なんで? 強くて格好よかったよ! 速水くんから乗りかえる子も多いんだから!」
「それ、喜んでいいのかな……?」
「美琴はすごいよ、入学早々モテモテだね!」
「モテモテ? 私のモテ期って、これなの?」
がっかりした美琴は机に突っ伏してむくれたが、確かに美琴はあれからも、さまざまな部活に勧誘されている。剣道部だけでなく柔道部や陸上部といった運動部に、今回の椿事で大迷惑をかけた演劇部からも「君は希代のアクションスターだ」と熱烈なアプローチを受けていて、文芸部からは「戦う女の子が主人公の物語を書くから、ぜひインタビューさせてね!」と言われている。自然と笑みが零れた時、窓の外が騒がしくなった。
「なんの騒ぎ?」
「喧嘩だってさ」
横合いから爽やかな男子生徒の声が聞こえて、どきりとした。いつの間にか机に長身の影が落ちていて、顔を上げると速水玲が立っていた。爽やかで整った笑みを浮かべた速水玲は、きな臭い空気を和らげるように、穏やかな声音で言った。
「上級生同士で、口喧嘩が少しエスカレートしたみたいだ。もう先生も向かってるのが窓から見えたし、放っておいても大丈夫だと思うけど……」
その台詞が終わるか終わらないかといったところで、誰かが窓の外から切羽詰まった声で「鎧塚さんを呼べ!」と叫び始めた。美琴は、溜息を吐き出した。恥は広まらずに済んだようだが、勝利伝説は現在進行形で広まり続けているようだ。
「呼ばれてるから、行ってくる。私が行けば、喧嘩なんて秒で止まると思うから」
「美琴が言うと、貫禄がすごいね。頼もしいなあ」
「鎧塚さん、ヒーローみたいだな」
二人からしみじみと言われて、美琴は目から鱗が落ちる思いだった。――ゴリラでも破壊神でもなく、ヒーロー。思えば小学生時代に男子たちと作り物の長剣を振り回していた時も、ヒーロー気分で走っていたはずだ。
あの頃から美琴は何も変わっていないし、これからも変わらなくていい。まだ心の片隅を錆びつかせていたコンプレックスが剝がれ落ちていくのを感じながら、美琴は心からの笑みで「すぐに戻るから」と言って踵を返した。茉優は手を振りながら「昼休みの間に帰ってくるんだよー」と快活に言って、速水玲は少しだけ心配そうに微笑んだ。
「怪我にだけは、気をつけて」
「う……うん!」
初めての女の子扱いに、不意打ちで胸が高鳴った。これからも、日常でトラブルが勃発するたびに「鎧塚さんを呼べ!」と誰かが美琴を呼ぶのだろう。けれど、以前と変わらない日々を送っているようで、本当は少しずつ変わっているのだろうか。
だとしたら、こんなモテ期も悪くない。そう素直に思えた美琴は、己を必要としている新しい戦いの場に向かって、生き生きと力強く走っていった。
最初のコメントを投稿しよう!