276人が本棚に入れています
本棚に追加
『汝の影奪うこと能わず』
胸に楔を打ち込まれたような心地がして空いている手で胸を押さえる。痛くはないが圧迫感が凄まじい。
「大丈夫か?」
顔が青くなっている幽子を見て、武瑠は声をかける。
「胸に圧迫感が……」
「少しだけ我慢してろ。『汝の心奪うこと能わず』」
幽子は歯を食いしばったが、うめき声は唇の端から漏れてしまった。
『汝の魂奪うこと能わず』
最後の呪文を唱えた直後、すうっと圧迫感が消えた。
「あれ、何もなくなった」
武瑠は手を離した。どうやらこれで封印の補強は終わったらしい。
「しばらくこれを毎日続けるぞ。この術は負担が大きいから少しずつ継続して行う必要がある」
「負担って、天野君に?」
「お前にだよ。俺も霊力消費するがお前の方が消耗激しいぞ」
「そうなのね……だから私は天野家に……」
「そういうことだ。九鬼家には木行の気質を抑える者がいないからな」
「しかも晩に行うものね。でも良かった。天野君には負担が少なくて」
武瑠はまたしても目を見張る。注意して見ないと分からなかったが、幽子の顔は小さく笑みを作っていた。
転校してから初めて幽子の笑顔を見た気がする。
「お前はお前の心配をしろ。そのまま立ってみ」
言われた通り幽子は立ち上がった……かのように見えた。実際は一瞬立っただけでバランスを崩し、ベットに倒れ込んだ。
「え、嘘。立てない」
呆然と呟く幽子。武瑠はその間にさっと立ち上がり幽子を見下ろしていた。
「言わんこっちゃない。俺は平気だから安心しろ。おやすみ」
相変わらずぶっきらぼうだ。しかしただのぶっきらぼうではない。突き放すような声音ではなかったのに少し安心した自分がいた。
「うん、おやすみ」
布団を幽子にかけて部屋を出ようとした。
「あ、あの!」
呼び止められた。振り返って幽子を見つめる。
「何だ」
「封印とか、布団とかありがとう」
何を言われると思ったらそんなことのために呼び止めたのか。武瑠は微笑んだ。
「礼はいらん。俺も修行中だしまだ未熟な点も多い。だが俺はお前の護衛だ。護衛として当たり前のことをしただけに過ぎん」
表情と声音が合っていない。幽子もつられて微笑んだ。
「そう……でも、ありがとう」
「……ゆっくり休めよ」
部屋の電気を消して武瑠は幽子の部屋を出た。
最初のコメントを投稿しよう!