忘れじの遠い眼差し

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「おお、よく来たな!優坊(ゆうぼう)!」 祖父母の自宅がある日暮里の駅に着くなり、背後から不意にそう声をかけられる私。 驚いて、飛び上がる様にして振り向くと、そこにはーー 「芳郎(よしお)じいちゃん!」 私の母方の祖父である芳郎おじいちゃんが、いつもの着流し姿で立っていた。 祖父は当時齢75であったが、その年でも尚、花柳界で現役で働く、非常に矍鑠とした男性であった。 また、幼い頃から花柳界におり、センスや流行には大変五月蝿い芸者のお姉さん方に鍛えられたせいか、年老いても『粋』を忘れない、伊達男でもあったのである。 同じ男の私から見ても、とても格好良くーー鯔背な江戸っ子であった芳郎おじいちゃん。 私は、そんな祖父が、とても大好きだった。 祖父も、私のことを、とても可愛がってくれていた様に思う。 まぁ、もしかしたら……祖父に懐いている男の孫が私だけだったから、かもしれないが。 ともあれ、到着したその日から、家に荷物を置いて直ぐ、私と舞ちゃんを色々な場所に連れて行ってくれた祖父。 中でも、その日1番印象に残ったのは、 「優坊?舞ちゃん?これが、有名な毘沙門天様だぞ。強い軍神でな、悪い鬼を退治してくれるんだ」 3人で行った天王寺の毘沙門天様だった。 強い軍神、悪い鬼を退治してくれる、というところに惹かれたのだろう。 (毘沙門天様。どうか……悪い鬼ではないですが、いじめっこも退治してください) 子供心に、必死にそう願ったのを、よく覚えている。 お賽銭も、当時の私には大金であった筈の1000円を……あの頃の私は、一切の迷いなく投入したのだ。 祖父は、そんな私を見て、きっと何か感じるものがあったのだろう。 「ほら、優坊。お守りだ。持っとけ。これで、きっと何時も毘沙門天様が見守っててくれるぞ」 毘沙門天様の御影札を頂いて来てくれたのである。 そうして、祖父はその御影札を丁寧に……しかし小さく折り畳むと、同じ位小さなお守り袋を取り出した。 そして、折り畳んだ御影札をそのお守り袋の中にしまうと、お守り袋の紐をそっと私の首にかける祖父。 祖父は、私の頭を撫でながら、微笑んだ。 「きっと、これで全部大丈夫だ」 祖父は、何が、とは言わなかったし、私も敢えて、何が、とは聞かなかった。 それに、祖父の顔を見れば、その安心させようとするかの様な力強い笑みから、祖父の気持ちは痛い程伝わって来たので、 「ありがとう!おじいちゃん!」 私は胸元のお守り袋をぎゅっと握り締めると、祖父に全力の笑顔を向ける。 隣では、舞ちゃんが穏やかに微笑み、私と祖父のやり取りを静かに見守っていた。 ーー私には、ただ、それが『幸せ』だった。
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