忘れじの遠い眼差し

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とは言え、私の家族だって、自分の息子を取り巻く事態に気付いていなかった訳ではない。 私は後から知ったのだが、かなり早い段階から、引っ越しと転校を考えていた様だ。 それが直ぐに実行出来なかったのは、単純に良い物件が見つからなかったのとーー私と舞ちゃんを引き離すのが、とても忍びなかったから、らしい。 あの頃、私と舞ちゃんは、放課後は常に一緒にいた。 私に舞ちゃん以外の友人と呼べる存在が一切いなかったのもあるが。 それでも、私には一切不満は無かった。 ただ、1つだけ……遊ぶ場所を変えなければいけなくなったのだけは、舞ちゃんに申し訳無かったが。 今までは団地と団地の間にある公園で遊んでいたのだが、そこでは町の子供達に容易に見つかってしまう。 何せ、他の子供達もそこしか遊ぶ場所がないのだから。 なので、考えた結果、私達は、小学2年生の時から、舞ちゃんの団地ーー1号棟の3階にある公園で遊ぶ様になった。 そこは、団地の一画に、まるで中庭の様に作られている公園で、小さいが人目につきにくいという利点があったのだ。 何より、いじめっこ達が来たら直ぐに舞ちゃんの家に逃げることが出来る。 だから、私達は放課後は毎日そこで待ち合わせをして遊んでいた。 端から見たら、とても狭苦しい公園だったろう。 それでもーー 「優君、見て!あそこ、見たこと無い花が咲いてるよ!」 「白粉花ってね?ほら、こうすると、パラシュートみたいになるんだよ!優君もやってみて?」 「躑躅の蜜って美味しいんだって!優君、吸い方知ってる?」 私には、舞ちゃんがいれば……舞ちゃんの笑顔があれば、それだけで充分だったんだ。 いつも、向日葵の様な眩しい笑顔で、私に新しい遊びを教えてくれた舞ちゃん。 私は、そんな彼女に、1つだけ、ある『お願い』をしていた。 「約束して、舞ちゃん。学校や、人目がある場所では、絶対に僕に関わらないって」 それは、彼女もこの地獄に引きずり込まない為の、幼い私が考えた精一杯の浅知恵。 「やだ!そんなこと、約束出来ない!私、優君のこと、大好きだもの!大切なお友達なのに、何で仲良くしちゃいけないの?」 そうーー彼女は、子供でありながら、とても誇り高く、真っ直ぐな心を持った気丈な少女だった。 だからこそ、学校でも、彼女は何度も私を助けようとしたものだ。 だが、それらは全て私が避けてしまったのである。 彼女が駆け付けようとする度に、逃げて、逃げて。 ときには、トイレ等に隠れてしまうこともあった。 けれど、それらは全て、彼女を巻き込みたくないが故の……私なりに考えた末の行動だったのだ。 まぁ、その度に彼女には叱られたけれども。 では、そんな彼女を、私はーー学校等では自分と関わらないことをどうやって納得させたのか。 それは、彼女の唯一の弱点を突いたのである。 卑怯なやり方かもしれないが、それしか方法は無かったのだ。 唯一の彼女の弱点、それは…… 「舞ちゃん?舞ちゃんが巻き込まれて、もし、怪我でもしたら、舞ちゃんちのおばさんは、とっても悲しいと思う」 彼女の母親のことだった。 彼女が小学校1年生の時に離婚し、シングルマザーとなった舞ちゃんのお母さん。 舞ちゃんは、自分の母親がどれ程苦労をして自分を育てているのかをしっかり理解していた。 故に、母親に心配をかけるのを非常に嫌っていたのである。 だから、私は、徹底的に『お母さんが如何に心配するか』を持ち出して、舞ちゃんを説得したのだ。 結果、 「……わかったよ。その代わり、学校が終わったら、いつも通りだからね?」 私は舞ちゃんの説得に成功した。 今思えば、我ながら小賢しい手を使ったものである。 ともあれ、学校では舞ちゃんを何とか遠ざけることに成功した私。 けれど、その年ーー私達が小学2年生の冬から、私達を取り巻く世界はまた、少しだけ形を変えることになる。 別段、私への嫌がらせが無くなったりした訳ではないけれど。
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