忘れじの遠い眼差し

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小学2年生の冬から、両親の計らいで、私は水泳教室に通うことになった。 水泳教室は、敢えて地元の教室ではなく、離れた場所にある教室を選んだ様だ。 きっと、町から離れれば私が屈辱を受ける時間が減ると両親なりに考えてくれた結果なのだろう。 更に、両親は……その送り迎えに、舞ちゃんも同伴することを提案してくれた。 私としては、舞ちゃんと放課後会えなくなることだけが嫌だったので、もし、舞ちゃんが一緒に来てくれるなら、教室への入会に反対する理由は無かったのである。 斯くして、(道程だけは)一緒に毎週2回水泳教室に通うことになった私達。 舞ちゃんは、ご丁寧にも、私のクラスが終わるまでずっと私達の練習風景を見つめながら、待っていてくれた。 そうして、練習が終わり……着替え終わってロビーに戻った私に、いつも、お揃いの缶のコーンスープを差し出してくれたのだ。 「今日の背泳ぎのバタ足がね、大分沈んでたから、もうちょっと意識してみたら良いよ!」 「バタフライの息継ぎがね、凄く苦しそうに見えたの。もしかして、苦手なんじゃないかな?大丈夫?」 「やっぱり、優君はクロールが一番速いねぇ!凄かったよ!3人も抜いたね!」 コーンスープを飲みながら、嬉しそうに練習の感想を聞かせてくれる舞ちゃん。 私は、それを聞くのが幸せだった。 それに、幸いなことに、そこの水泳教室は、先生方も良い人達だったのだ。 皆、地元が離れた場所のせいか、私にも普通の生徒として接してくれた。 私には、それが、とても嬉しかったのだ。 結果、楽しいという気持ちが伸ばしたのか、舞ちゃんのアドバイスが適格だったのかーー私は、その数ヶ月後に出た水泳の小さな大会の最年少の部で金メダルを獲得した。 金メダルと盾は両親に、記念品のボールペンは舞ちゃんにプレゼントした私。 もう1つの記念品である鉛筆のセットは、舞ちゃんと半分ずつ持ち帰った。 ちなみに、その時の金メダルと盾は、今も、実家の書斎に飾ってある。 当時、両親と舞ちゃんと一緒に撮った記念写真と共に。 「凄い!凄いね!優君、おめでとう!」 大会後、そう叫びながら、着替え直後でまだ髪も乾き切っていない私に飛び付いてきた舞ちゃん。 彼女のあの日の笑顔は、今も色褪せないまま、私の記憶に刻みついている。 両親は、そんな私と舞ちゃんの様子を見て、習い事をさせたのは正解だと悟ったのだろう。 その翌月から、私のスケジュールの中に新しい習い事が加わった。 両親が加えた新しい習い事は、英会話だ。 しかし、私は、舞ちゃんと一緒ということもあり、別段反対する理由も無かったので、流されるままに両親の指示に従った。 水泳の様に、きっと楽しくなると信じて。 そこで、私は、人生の師の1人とも呼べる人と出逢うことになるのだった。
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