忘れじの遠い眼差し

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私達が通わされた英会話教室ーーそこは、元は教職であった女性が定年退職後に個人で開いた、とても小ぢんまりしたものだった。 昔で言うなら、寺子屋、或いは手習い塾の様なものだろう。 あくまでその女性が趣味と実益を兼ねて行っている……そんなイメージだった。 その英会話教室で、私と舞ちゃんは別々のクラスになってしまう。 私のクラスの開始が1時間早くて、舞ちゃんのクラスは私のクラスが終了してからの始まりだ。 とは言っても、実は英会話教室が開かれているのは、その女性の自宅のダイニングなので、友達のクラスが終わるまでリビングで遊んだり、宿題をしながら待っていても全然良かったのである。 実際、私はよくリビングで宿題をしながら、舞ちゃんのクラスが終わるのを待っていた。 この女性ーー光子(みつこ)先生が個人で開いていた英会話教室。 ここは、実は私にとっては、水泳教室より、居心地が良い場所と感じられる場所だった。 何故なら、光子先生が、私を差別しなかったのである。 そんなに不思議なことか? それは、そうだとも。 何故なら、この英会話教室は、私達が暮らす団地群の中にあったのだから。 団地内にある個人宅をそのまま使って英語を教えている英会話教室。 本来なら、同じ町にある団地の住人なのだから、光子先生だって、私をどれ程虐げてもおかしくない筈だ。 あの町で暮らしていたのだから、私の噂位、確実に耳に入っていただろう。 いや、そもそも、入会を断られたっておかしくはなかった。 それほど、私は町の住人達からーーいや、最早、町そのものから、嫌われていたのだから。 けれど、光子先生は、私が転校して英会話教室を去るまで、決して、私に不当な責め苦を負わせることはなかった。 担任の女性教師の様に、黒板用のコンパスで殴って来ることがなかった。 副担任の男性教師の様に、声が小さいから気合いを入れろと腹を殴って来ることもなかった。 隣のクラスの担任の様に、「君、生きてて楽しいの?」と聞いて来ることはなかった。 同じ町であるのに、身体的・精神的危害を加えられないだけで、私は、そこにいることが……その町にいることが、生きて息をしていることが、少しだけ許された様な気がしていた。 同じ町の中だということすら、時には忘れて、楽しく英語を学んでいた私。 しかし、望まぬ来訪者の存在が……嫌でも、私に思い出させることになる。 私は、本来、そこにいてはいけない存在なのだ、と。 排除されるべき異物であるということを。
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