1 箱の中

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1 箱の中

 気がつけば、俺は箱の中にいた。左右に赤紫のベルベットに覆われた座席が壁を背にして並んでいる。その座席の上の、立っている俺の目線辺りに丸い輪がずらりと並びながら、箱の振動に合わせてゆらゆらと揺れ動く。  黒い革に括りつけられたそれらをぼんやりと眺めていると、ふと俺に一番近い輪が赤く染まっていることに気がついた。見間違いかと一つ瞬きすると、その輪は縄に変わり、蛇のように身をくねらせながら俺が近づくのを待っている。  駄目だと頭では分かっているのに、俺は縄が何とも魅力的に見えた。  あの縄に首を差し入れたら、どんな感覚がするのだろう。  人間の生理的欲求に抗えないのと同じくらいに、俺はその一つの思考に囚われ、絡め取られ、命を宿していると称しても何ら不思議ではない縄に招かれるまま、一歩ずつ近づいていく。  伸ばした指先が縄へ届くか、届かないか、というところだった。頭上でいやにざらついたアナウンスがかかり、我に返る。 「ま……く、……に、とう……ます。……です、から……」  耳障りな音を立てながら、箱の底の部分が僅かに傾く。慣れない動きでたたらを踏み、咄嗟にあの縄を掴みかけるが、縄から丸い輪へと戻ったのか、それとももともとただの輪を見間違えただけだったのか、長さが足りずに空を掴む。  そのままよろけて扉に手をつくと、窓ガラスの向こうが異様なほど黒いことに気がついた。それも、通常なら映るはずの自分の姿が映っていないせいか、闇の中に飲み込まれてしまったように思えた。  車輪の擦れ合う音、繰り返される不気味なアナウンスに不快感が増し、吐き気が込み上げてきた時、箱が止まり、ゆっくりと扉が開いていく。  その隙間から無数の黒い手が伸びてきて、俺を闇の中へ引きずり込もうとしていた。  
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