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 緑の国。  その意の名前を持つ、その広い敷地の入場口で、エンはつい立ち尽くしてしまった。  想像していたものと、違う。  いや、緑も田舎だからと言う理由以外で、生え揃っているようだが、気楽に承知したのを悔やむものが、入場口の遥か奥の方に建っていた。 「どうかした?」  傍で見上げる女は、その顔が強張っているのを見て、気遣いの声を上げた。 「顔色が悪いけど、日を改める?」 「いえ……」  日を改めると言う事は、今日のこの突如として湧き出て来た緊張を、別な日に持ち越す、と言う事だ。  それは、冗談ではなかった。  だが、一応、確認の声を上げる。 「ここって、植物園じゃ、ないんですね」 「え。いや、地元にあるのに、わざわざ他県に来る必要、ある? そこまで、植物に興味、ないんだけど?」  やはり、植物園だけでは成り立たないから、遊園地も兼業している、という訳ではなく、遊園地そのものらしい。 「そう、ですか。いや、勘違いしてました、すみません」  何とか返すエンに、女は首を傾げた。 「別に、謝る事でもないけど……一緒に、遊んでくれるんだよ、ね?」  いつもの優しい笑顔を引っ込め、少し心配そうに問う女に、男は精一杯の笑顔を向けて頷いた。  ……事の発端は、二日前の昼間、だった。  古谷(ふるや)家が代々守って来た山に建てられた、昔仕立ての一軒家で、エンは久しぶりに家の事に精を出していた。  そこへ、二人の女が訪ねて来たのだ。  一人は、今一緒にいる(みやび)で、もう一人は仲のいいメルだ。  長身で、黒く長い髪を流した美人の雅とは真逆の、小柄で明るい栗毛の髪を持つメルは、時代の流れに順応し、今はバッサリと髪を切り、瞳の色と同じ翡翠色の石をはめ込んだピアスを、両耳に付けていた。 「お前もさ、もう少し人生楽しみなよ。髪は勿体ないから、切らなくていいけど、化粧するとか、ピアス嵌めるとか……」 「でも、穴を開けるんだろ? 痛くなかった?」 「今まで負った怪我に比べれば、屁みたいなもんだよ。それに、昔は、もっと処置が雑だった」  女たちが、話を盛り上げる中、エンは静かに茶を出し、手軽な菓子も用意する。  しばらく前から行っていた、ご無沙汰していた方々や、その親族にご挨拶をする作業が一段落し、今日からこの家の掃除に精を出そうと、いきり立っていたのだが、これからその機会はいくらでもあると、気を取り直して接客していた。  実年齢も近いらしい二人は、年がかなり下の男のその接客に短く礼を言い、更に話し込んでいたが、雅がふと顔を上げた。  客間に当たるこの部屋の奥の、仏間の方へ目を向けて、目を瞬く。 「あれ、あそこ、抉れてたっけ?」 「ん? どこ?」  メルも振り返ってそこを見て、目を丸くする。  そして、そ知らぬふりで部屋を出て行こうとするエンに、声をかけた。 「お前、あんなところを壊したのか?」 「人聞きが悪いですね、壊したんじゃないですよ」  ついつい振り返り、訂正してしまった。 「迷い込んだ雀を外に出そうとして、当たっただけですよ」 「……雀?」  朝方の事である。  襖を開け放って空気を取り入れつつ、この辺りの部屋を掃除し始めたのだが、その時に、一羽の雀が飛び込んだのだ。 「一羽だけだし、昼もまだまだ先だったんで、直ぐに外に逃がそうと……」  そう思って軽く手を振って、外へと誘導している内に、左手まで振るっていたのだ。 「……なあ、お前さ、そろそろその左手、治療を考えねえか?」  事の次第を最後まで聞かぬうちに察し、メルが呆れたように切り出すと、雅も真顔で同調した。 「そうだよ、まだこの辺りは、野生の雀が多いから素早いけど、下手したら無駄な殺生するところじゃないか」 「そうなんですよ。しかし、ロンが、無理と言った、治療をするとなると……」 「キョウに頼むしか、なくなっちまうな」  エンが困ったように言う言葉を受け、メルが頷くと、雅は眉を寄せて唸った。 「でも、その辺りの自信は、あるのかい? セイは、大丈夫だったけど」 「ありませんよ、これっぽっちも」  ある若者が持つ力は、本人の体力を使うものだ。  視力を失ってでも、死なせたくないと考えさせた相手ならまだしも、嫌っている義理の父の倅では、力を補おうとは思わないだろう。 「でも、そのままじゃあ、普通の生活だって、ままならないじゃねえか。いつまでも、待たせてんじゃ、ねえぞ」  睨みながら言うメルに、エンはきょとんとして返した。 「待たせるって、誰が、待つんですか? ……ああ、そうですよね、いつまでもここで、ひきこもる訳にもいかないか。セイの安息の地、らしいですからね」  性にも合わないと苦笑した男に、小柄な女は目を剝いて身を乗り出した。 「お前、本気で分かってねえのかっ? そんなはず、ねえよなあっ?」 「な、何ですか?」 「雅を、いつまでも待たしてっと、直ぐに他の男が攫ってくぞっ」  ついつい目を見張ったエンは、そのまま雅へと目を向けた。
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