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見返す女も同じように、目を見張っている。
「私を攫う男って、いるのかな?」
「中々、難しいと思いますけど」
「ねえ?」
顔を見合わせる男女に、メルは大袈裟に溜息を吐いた。
呑気すぎる上に、老齢夫婦の様な和み方だ。
まだまだ、そんな時期ではないはずなのに。
「お前らさあ、正直なところ、どこまで行ってるんだ?」
ずばり、そんな質問をするが、そんな露骨な問いに、顔を赤らめる二人ではない。
「どこまでって……どう言う意味合いで、言ってるんですか? 意味合いによって答えが変わるんですけど?」
穏やかに訊き返すエンに、メルは辛抱強く訊いた。
「どこか二人きりで行くとか、そういう、デートとかは、してねえのか、一度も?」
「行きましたよ、ねえ?」
「うん、行った行った」
男の投げかけに雅が頷き、その友は少し顔を緩めたが、次の言葉で落胆した。
「あの時は、京都を通って、江戸の方に行ったよね」
「……それは、もしかしなくても、昔修業した時の、話か?」
「そうだよ」
この二人、数百年前から、師弟の間柄である。
年若いエンの方が師匠で、雅の方が弟子だ。
本当は父親の後を継いで、剣術を習おうとも思ったが、それは弟分の戒が興味を持ったようなので、雅は気になっていた男が、全く別な分野を得意としていたこともあり、譲ったのだった。
二人きりの旅、という色めいた事態から一年後再会した時には、何故かその色めいた部分をすっ飛ばし、熟年夫婦の間柄のような、今の空気の関係になってしまっていた。
何故なんだっっ?
メルは、内心頭を抱え込みたい気分だ。
大体、この状況も、おかしいのだ。
エンは、その少し前まで、雅の前から姿を消していた。
左手に負った大怪我のせいで、生きる希望を失い、失踪したのだ。
雅も追わず、もう死んだものと受け入れ、それでも沈む気持ちを外に伺わせていた。
それなのにエンは、雅の前に再び姿を見せた。
気まずい気分も薄れ、焼け木杭に火が付いてもいいはずなのに、その気配がない。
メルは、この中で一番の年長だ。
子供もいて、孫もいる。
孫の娘の成長や、孫同然の若者の今後も気になるが、今一番気にしているのは、この二人の仲だった。
年が近く仲のいい、只一人となった友が、幸せになってくれれば、メルは嬉しいのだ。
意を決し二人を見た女が、顔を見合わせた師弟の男女に切り出した。
「これな、お前らにやる」
言いながらポケットから出したのは、一枚のチケットだった。
表面に可愛らしい絵柄と、その施設の名前が書かれ、カップル限定の文字が目立つように書かれている。
「何ですか? それ?」
「蓮が、バイトの土産に買って来た。カップルで誰かと行けってさ。オレには、そんな相手いねえから、お前たちにやる」
「お前らって……私たち? カップルに、見える?」
きょとんとする雅に、困った顔のエンが返す。
「見えないですよ。オレじゃあ、あなたの相手としては、役不足です」
「いや、それはないけど、カップル? 甘々に見えるかな?」
「……見えるように、遊んで来いって、言ってんのっ」
思わず強く言い、メルは半ば脅すように、言い切った。
「蓮が、折角買ってきてくれたんだから、行かねえんだったら、そのチケット代、払ってもらうぞ」
話がおかしいと、エンが眉を寄せる。
「いや、そもそも、どうして、カップル割のチケットを、メルに買ってきちゃうんですか? あの人の買い物にしては、おかしくないですか?」
「お前、あの子の選んだもんに、ケチ付けんのかよ?」
「いや、そうではなく……分かりました、いくらなんですか? チケット代、払いますから……」
そう話を落ち着けようとする、空気の読めない甲斐性なしに、メルは低い声で切り出した。
「お前さあ、雅に会いたくねえからって、匿ってやってた恩、いつになったら返してくれんだよ?」
痛い所をついた女に、男は目を泳がせた。
「……別に、この人に会いたくないから、ではなく、どう言って戻ろうか、考えあぐねていただけで……」
「そのだけで、何年、かかってたんだったっけ?」
「百年」
メルの問いに、優し気な雅の声が答えた。
「そう言えば、それの謝罪も、まだ聞いてないなあ」
女がエンの顔を覗きこみ、優しく笑った。
「でも、ここに一緒に行ってくれたら、チャラでもいいかも」
「オレの方も、チャラでいいぞ」
にやりとしたメルの笑い方は、血の繋がりはないはずの若者と、どこか似ていた。
……謝ってしまえば、良かった。
止まりそうな足を叱咤しながら、エンは雅の横を歩いていた。
緑の楽園、と言う意味合いの名を持つ、遊園地の中へ。
気分は、楽園どころか、地獄に向かっているようだった。
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