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すぐ傍で息絶えたジュラを、妹の元に戻したいと、その為の障害は、全て握りつぶす覚悟で、目的地に急いでいたのだ。
だが、あれがぶっ放されていたら、周囲を巻き込んだ大惨事だった。
火薬に火がついたところに突っ込んでしまい、砲の中で爆発してしまったから良かったが、暴発して周りを吹っ飛ばしたから、結構な威力だったと思う。
「……でしょうね。神経を焼き切っている程だもの。無事だった神経も、この一月で壊死しているわ。これでは、良くなっても動かないかも。切り落とさなくていいだけ、まだまし程度にしか、回復しないかも知れないわね」
「……そんなに、酷いですか?」
表面は、すぐに綺麗になったので、そんな大事とは思っていなかった。
「あなたの回復力を考えると、その位にしかならないわね。全く、馬鹿な事をして」
ロンの声は、呆れより心配が滲んでいる。
顔を俯かせる男を一瞥し、雅が静かにロンに尋ねる。
「生活に支障がない位には、治りそうですか?」
「それも、エンちゃん次第よ。治るとしても、それなりに努力がいるでしょうし、時もかかるわ」
エンはその言葉に頷いていたが、落胆は抑えきれなかったのだろう。
いつもの倍かけて家事をこなし、夕食の片づけまで済ませた後は、自分の部屋に向かって行った。
つたなくなった男の腕を補う心算で、雅はその日家事を手伝っていたが、表面に出ないエンの傷心が気になっていた。
その場を辞する男の後を追い、部屋の前でつい声をかけた。
「何か、力になれる事があるなら、何でも言ってくれ。私は……」
「大丈夫ですよ」
女の言葉を、エンはやんわりと遮った。
振り返ってしみじみとその顔を見つめ、静かに言い聞かせるように続ける。
「オレ自身の、問題なんですから、あなたが気にする事じゃない。それより……」
やんわりとした拒絶を受け、言葉を失くした雅は、張り付いた笑顔を見上げたまま、その言葉を聞いた。
「守ると言う約束を、違える事態にしてしまって、すみません。これからは、あなたを守るどころか、自分が生き残れるかどうかも、怪しい。まあ、あなたほどになれば、オレなんかの守りはいらないでしょうが……」
それでも、その約束があったからこそ、傍にいる言い訳になった。
言いかけて口を噤み、エンは女を見下ろした。
「本当に、すみません」
雅は、顔を伏せてから首を振った。
「随分前の約束事を、引きずっていたんだな。そんなの、違えた所で怒る理由がない」
抑えた声が震えないように、雅は敢て声を籠らせた。
「君が言った通り、私はもう、そこまで弱くない。最近、そう感じるようになれたから……」
ようやく、男の横に並べると、そう思っていたのに。
まだ、気遣われている。
頼ってもらえない。
この思いに、人は何と名付けるのだろう。
思いに飲まれたら、その場で膝を折り、泣き出してしまいそうだ。
雅はその気持ちを無理やり抑えつけ、顔を上げた。
穏やかな笑顔を見上げ、優しく微笑む。
「こちらこそ、申し訳なかった。あんな口約束を、まだ真面目に守ってもらえていたなんて、思わなかった。勿論、違える事なんか、気にしなくていい。まずは、君自身の事を、大事にして欲しい」
「はい」
「じゃあ、私は、今日は住処に戻る。お休み」
挨拶の返事は、背中で聞いた。
踵を返して足早に寺を出、まっすぐ住処へと走る。
そうすることで、悔しさも悲しさも切り捨てられればと思ったが、山中に入ってもその想いは振り切れなかった。
翌日、眠れなくて重い瞼を開きながら寺を訪れた雅は、慌てふためく家人たちにそれを聞いた。
エンが、置手紙なしに、姿を消した。
弟分であるセイをも残し、気遣う事もないまま姿を消したことで、雅はぼんやりと男の行く末を察した。
もう二度と、生きたあの人を見る事は、無いのだろうと。
自分の中に、留めておかなければならない感情だった。
優しく微笑んで踵を返した雅の背に縋りつきたい気持ちを、エンは必死で抑えながら見送った。
頼られる存在として、雅の前ではいたかったのだ。
悪く言えば男勝りな女が、自分の前では愛らしい仕草をしてくれるのが、一目ぼれしてしまった男としては嬉しい限りで、甘えさせたいとは思っても、自分が甘えたいとは思っていなかった。
だが、この時ばかりは、危うく縋り付いて泣き出したくなった。
呆れられてもいいから、捨てないで欲しいと頼み込みたくなった。
自業自得の怪我で利き手を使えなくなり、守り手としても男としても、役に立たなくなってしまったのだから、勝手な言い草だ。
危ういところで留まったのは、それをしてしまった後の悔いが凄まじいと分かったからだ。
呆れ軽蔑されるだけならいい。
雅に世話をされる事で、回復に向かうなら、それもいいだろう。
だが、もしも変わらなかったら?
そのまま永く、女の世話になる事で、雅の様々な幸せな機会を逃す事態になったら?
エンはどう考えても、邪魔者にしかならない。
廊下の向こうにその背が消えた後も、エンは暫くその場に立ち尽くした。
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