あけび質店

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 冷たい麦茶を準備して応接テーブルに戻ると高原さまは先生の向かいに戻って紙に絵を描いている。先生は原稿に次いでスケッチブックを見つめている。麦茶を配り終えて先生の隣に座ると私は先生が読み終えた原稿を手にした。  そこには当時高校生が描いたとは思えないほどかっこいい絵が描かれている。肝心の内容は、マフィアのボスの息子二人兄弟が主人公だ。ある日、弟が敵対するマフィアに捕まってしまい、父の反対を押し切って兄が助けに向かう。激しい戦闘の末に弟を救出することに成功するのだが、それは弟と父が仕掛けた罠だった。弟は兄を殺し次期跡取りとして父に迎え入れられるという、後味の悪い内容だ。  しかし、キャラクターの細かな表情の変化や迫力のある戦闘シーンには引き込まれる力がある。受賞するのも頷ける。 「描けました」  高原さまが描いていた絵を先生に渡す。そこにはひとりの侍が刀を振り下ろす絵が描かれている。刀は迫力を出すためか大きく描かれ、侍の表情には怒りが見える。短時間で描いたとは思えない画力だ。 「ありがとうございます。時々いるんですよ、こちらを騙そうとする輩が」  先生は老眼鏡を外す。 「査定が終わりました」  高原さまは背筋を伸ばして真剣な顔をする。しかし先生の言葉を聞いてすぐに暗い表情に戻った。 「査定額は一万七千円です。この額で良ければあなたの才能をお引き取りします」  高原さまは先生を力の無い目で見つめたままだ。それもそうだ、十年以上情熱を注ぎ、誰かに馬鹿にもされただろう。悩みに悩む事もあっただろう。親にだって気持ち悪がられながらも追いかけてきた夢をたったの一万七千円と言われたら私だってショックだ。  沈黙の時間が流れている。麦茶の氷が溶けて、からんという音が聞こえるほどふたりとも黙り込んでしまった。そんな沈黙を打ち消すように高原さまは声を絞り出した。 「それで、お願い、します」  土下座でもするように机に手を付いて頭を下げた。この瞬間、高原さまは自らの口で夢を諦める事を宣言したのだ。本当に辛い決心をした高原さまを尊敬したい。  私は椅子から立ち上がって本棚に行き一冊の深緑の本を手に取って先生に渡す。 「ありがとう」  その本は当店で使用している才能を閉じ込める本だ。厚さは五センチほど、古い洋書の様なデザインで鍵が付いている。先生は鍵を開けて表紙をめくり白紙のページを出してから、高原さまに向けて机に置いた。 「こちらに高原さまの才能を閉じ込めます。まずこの本が全て白紙になっていることをご確認ください」  高原さまは全てのページを流すようにめくり、三回ほど繰り返してから「確認しました」と返事をした。先生は本を受け取り万年筆で一ページ目に『高原修司の漫画を描く才能をここに記す 福原美幸』と書き込むと再び高原さまの方に本を向ける。 「それでは最初にお見せした一ページ目に高原さまの署名を頂いて契約完了です。後悔は有りませんか?」 「ひとつお聞かせ頂けますか?」 「はい、どうぞ」 「福原さんと小野川さんは僕の漫画はどう思いましたか?」  先生と思わず顔を合わせた。その状況が可笑しくてふたりして吹き出してしまい、さらにそれが面白くて笑ってしまった。高原さまはきょとんとして私たちを見つめている。笑い終わってから高原さまの方を向き直る。 「面白かったですよ」 と言う先生に続き 「私も好きですよ」  と伝えると、高原さまは胸を撫でおろした。どうやら後悔は無いようだ。そんな高原さまを見て先生が口を開く。 「私からもひとつ構いませんか?」 「はい」 「才能と言うのは生まれ持った物もあれば努力によって磨かれる物もございます。高原さまは夢を諦める為に漫画を描く才能を捨てる覚悟をなさいました。これは努力によって磨かれた才能です。しかし高原さまには好きになった事に情熱を注ぎ続けるという生まれ持った才能があると思うんです。どうかそれだけは捨てずに、新たに情熱を注げる何かを見つけてください」 「ありがとうございます。おかげで決心出来ました」  高原さまは頭を下げた。 「では右手をページに乗せてください」  そう促された高原さまが本に手を乗せると本が優しく光り始める。才能の書き込みが始まった。光は少しずつ強くなり眩しいくらいに光ってから、再び最初の優しい光に戻った。書き込みが終わったのだ。 「最後に高原さまの署名をお願いします」  先生から万年筆を受け取った高原さまが署名を終えると、本はひとりでにページをめくり始め、最後のページで折り返すと表紙が閉じられて鍵が掛った。  これが先生の持つ不思議な能力。人の能力や才能を本に閉じ込める力だ。何度見ても不思議で、何度でも見ていられる。 「これにて終了です。お疲れさまでした。それでは精算を致しますのでしばらくお待ちください」  私は先生の部屋に行って金庫から一万七千円を取り出して再び応接テーブルへと向かう。トレイからお金を受け取る高原さまは少しだけすっきりした表情に見える。高原さまが少しでも前に向かって歩き始められますように。そう願って高原さまをお見送りした。  しかし、 「あの漫画、イマイチだったね」 と言う先生の言葉は忘れることは無いだろう。
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