第001話 物語通りなのね

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第001話 物語通りなのね

 下校を告げる鐘の音は当の昔に鳴り響き、時刻は茜色の黄昏時を過ぎて、辺りが薄暗くなる逢魔時。  タウンハウスのある貴族たちは、各々自身の邸宅に戻り、遠方より留学してきている者たちについては、別棟にある寄宿舎に戻り、夕食を待ちわびているか、入浴の準備を行っている所であろう。人気のない階段教室は沈黙を保ちながら、暗闇に包まれていく。  そんな暗闇の階段教室に一人、辺りの暗闇に溶け込みそうな黒髪の長髪と、その暗闇の中に怪しく青白く光る様な肌のこの学院の制服を着た少女が、階段教室の中央を登りながら教室の後方へ向かっていた。 「レイチェル… 本当に来るの?」  黒髪の少女の長髪から、緑の髪に葉っぱの衣装を纏った人形のような人型が、ひょっこり顔を覗かせ、少女の耳元に眉を少し顰めて尋ねる。 「それを確認するためにここに来たんじゃないの、リーフ」  少女は自分の髪から出てきた小さな人型に、顔の向きも視線も変えずに教室の階段を登り続ける。 「確認するだけなら、明日の朝、本当に教科書が切り裂かれているかどうか確かめればいいんじゃないの?」  人型は上半身だけでなく、背中の薄羽を少女の髪の中からさらりと抜き出し、少女の顔にすがる様に身を寄せながら再び尋ねる。 「リーフ、その方法だと、私が教科書を切り裂かれ損じゃないの、教科書もただじゃないのよ」  少女は教室の後方に辿り着き、窓側のカーテンへと視線を移す。そして、ツカツカとカーテンの元に歩み寄る。 「かと言って現場を押さえるのは危ないよ、レイチェル。だって、教科書を切り裂くぐらいなんだから刃物を持っているんでしょ?」  薄羽を背中に生やした、小さな人型は、自分の言葉を意に介さず、黙々と自らの目的の為に準備をしている少女に懇願するように話しかける。 「教科書を切り裂くのに剣なんて持ってこないでしょうから、恐らく隠し持てる小さなナイフだと思うし、御相手も御令嬢ですから刃傷沙汰には及ばないでしょう…それに…」 少女はカーテンを掴んで腕を開き、自分自身の身体を包み隠す様に覆う。 「本当に、私の話した物語通りの現実かどうか分からないでしょ? 物語通りでなければ何も起こらないわ…」 そして、少女はくすりと小さく笑う。 「その時は、人気の無い教室で、一人、カーテンを纏って隠れていたという、恥ずかしい記憶が残るだけよ…」 少女は自嘲するように笑う。 「その方がいいよ… 私、レイチェルを笑わないから…」 小さな人影はそう言いながら少女の頬に寄り添う。  その時、教室の外の廊下から、カツーン… カツーン…と小さく響く人の歩みが聞こえてくる。  その音に小さな人型はぐっと息を飲み、少女はふっと目を細め、口角を少し上げながら唇を閉じる。  二人は息を潜め、教室の外から聞こえる足音に神経を研ぎ澄ませる。  静まり返った教室。その中にゆっくりと教室の外からカツーン…カツーン…と足音だけが近づいてくる。そして、恐らくこの教室の前でその足音が止まる。その状況に少女の顔に寄り添う小さな人型の息を呑む音が、少女の耳に入る。  二人が教室の前方の教壇を挟むようにある二つの入口を凝視する。小さな人型は何も起こらないことを祈り、拳を握りしめているが、小さくキィ…と音を響かせ、向かって左側の扉が動く。その音に合わせて小さな人型は少女の顔にしがみ付く。  小さくあいた扉から、ぬぅっと一人の令嬢が顔を覗かせ、暫くキョロキョロと辺りを見渡し、人気のない事を確認してから、小さく開いた扉の隙間から、身体を割り込ませるように、教室内に入り込み、後ろ手で静かに扉を閉める。  明るいオレンジがかった外向きのミディアムヘアに、オリーブ色の瞳の甘え上手そうな柔らかい顔立ち。 『物語通り来たのね… マルティナ・ミール・ジュノー… 物語の中の悪役令嬢の一人…』  その令嬢が、本当に物語通りの目的でここに来たのであれば、その後の行動は分かり切っている。  令嬢は教室に入る前に教室内を点検したのにもかかわらず、キョロキョロと辺りを伺って警戒しながら、教壇前の最前列の席へと向かう。そこは少女の指定席だ。 『本当に物語通り、私の教科書を切り裂きに来たのね… 今回は物語通りかどうか、確認するために教科書を座席に置いてきたけど… ここの生徒達は置き勉するのが普通なのかしら…』  少女はそんな事を考えながら、忍び足で自分の座席に向かう令嬢を伺う。  少女が密かに令嬢の行動を伺っている中、令嬢は少女の座席に辿り着き、座席の天板の下から教科書を取り出す。ごくりと唾を飲みながら表紙を凝視した後、教科書を片手に懐から小さなナイフを取り出す。  少女は肩の小さな人型であるリーフが『教科書切られちゃうよ』と言わんばかりにこちらを見ているのを無視しながら、ただひたすら沈黙したままで令嬢を見守る。 ガッ  令嬢が教科書の表紙にナイフを突き立てる。表紙が厚紙で作られている為か、将又、令嬢のか細い腕に腕力がない為か、表紙にはナイフの刃先しか刺さらない。令嬢は刃先しか刺さっていない事にイラついたのか、ナイフを握る手に力を込めて、表紙を切り裂いていく。  教科書の表紙を切り裂いた事で、令嬢のマルティナが少女のレイチェルに対して、嫌がらせをした事が確定した瞬間であった。 『これで確定…』 被害が出たことにより、いじめが確定した事を確認すると少女はすぅっと息を吸う。 「マルティナ・ミール・ジュノー様」  二撃目を加えようとナイフを大きく振り被っていた令嬢マルティナは、突然、自身の名前を呼ばれたことにより、ビクリと身体を大きく震わせ、その拍子にナイフと教科書を落とし、カランというナイフの落ちる音が無音の教室に響く。  令嬢マルティナは路上の子猫の様に、身を震わせ狼狽えながら、身体を声の方向に向ける。すると、既に暗闇に包まれた教室の後方、窓際のカーテンがふわりと動き、中から青白い肌の人影が現れる。  教室の後方で場所も離れており、また、暗闇の教室の中、突然ふわりと現れた青白いまるで亡霊や怨霊の様な姿に、令嬢マルティナは『ヒィッ』と小さく悲鳴を揚げ、腰をぬかしそうになる。 「侯爵家の御令嬢が、こんな黄昏時を過ぎた人気の無い教室で何をなさるのかと思えば…」  マルティナから見て、暗闇と溶け込む様な黒髪と青白く肌を持った亡霊か怨霊の様な姿は、何かを喋りながら、窓際から中央へとゆっくりしずしずと歩みながら進む。 「それ以上切れ裂かれてしまわれますと、授業を受けられなくなってしまいますの…」  マルティナはわなわなと小刻み震えながら、背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、その亡霊の姿から目を離せずにいた。その亡霊の様な姿は教室後方の中央まで進むと、ふわりと暗闇の様な長髪を靡かせながら、マルティナに向き直る。  そして、端麗に整った青白い肌の顔の二つの瞼がゆっくりと見開き、暗闇の中、仄かに輝くルビーの様な紅色の瞳が現れる。 「レ、レイチェル・ラル・ステーブ…」  その紅色の瞳で、亡霊の正体を理解したマルティナは搾りだすような声で、亡霊の名を言い放った。  
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