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第047話 慢心:ディーバサイド
私は慢心し、見誤っていた。
私は彼女に憑りつく『ソレ』を利用できる、自分の目でその状況を確認したいと考えていた。
しかし、彼女に憑りつく『ソレ』の本性は、とても人間では利用できるモノでも、気軽に確認して良いモノではなかった。
彼女が膝を崩して倒れそうになった時、私は彼女に駆け寄って介抱しようと思ったが、身体が拒絶反応を起こした。彼女から溢れだす急激に増大し、粘性を持った黒い沼の様に溢れだす。
その暗闇を煮詰めたような沼の表面をみると、まるで、蛆虫が一面にいるように蠢いている。そして、その沼の中央が見る見るうちに黒く蠢く蛆虫を纏ったまま盛り上がり、何者かが這いずり出てて来る。
「…先生…」
彼女が沼の下で、助けを求める為、小さく呟いたように思えたが、私の足は前に進める事が出来なかった。教師として大人としての責務よりも、ただひたすらに本能的な恐怖感がまさっていたのであろう。
それ以上に沼から盛り上がるそれは、急速にその体積を増大させつつ、ある形をとっていく。
『人型』
そう『人型』…あれを人間の様だと形容してはいけない。頭があって手足があって人間の形に似ていてもあれは人間とはことなる『人型』なのだ。
その存在は『人型』の形態はとりつつも、この部屋の空間を満たさんばかりに体積と存在感は増大させつづける。私は増大し続ける『人型』に触れないように一歩、また一歩と下がるのが精一杯で、遂には壁際まで追いやられ、壁に張り付くようにせねばならなかった。
その様に壁にへばりついてでも、『人型』の身体の一部はすぐ目の前の息のかかるような距離にあり、その腕と思わしき表面を凝視すると、実際に黒い蛆虫の様なものが皮膚の上を這いずりまわっている様に見える。
ジャラ… ジャラ… ジャラジャラ……
増大する存在だけではなく、鎖を引きずるような音まで響き始める。私はその音源を探る為に、定まらない視点で、『人型』の全体を視認していくと、その『人型』は首や手首、腕などを白い鎖で繋がれおり、その鎖は沼の中央、レイチェル君がいた所から伸びている。
『この『人型』はただレイチェル君に憑りついているのではない!? この鎖によってレイチェル君に拘束されているとでも言うのか!?』
しかし、拘束されていると言っても、鎖はピンと張り詰めた状態ではない、だらりとたるんで余裕があるようにも見える。
「ヒィィィィィィィィィィィィィィィ!!!」
突如、座敷牢側から悲鳴が響く。私はすぐに視線を移すと、留学生の少女から、青白い人型が逃げ出そうとしている。おそらく、彼女に憑りついていた霊だ。
その霊の姿は、報告書にあったように、彼女に付きまとい、彼女の部屋の前で自害を遂げた別の生徒の姿と同一である。霊の姿になって、彼女に憑りつき、そして彼女を死に追いやり、彼が信仰する宗教の天界へと、他宗教の彼女を連れ去ろうとしていたのであろう。
しかし、霊の存在になっても、いや、霊の存在になったからこそ、レイチェル君に憑りつく『人型』の存在に恐れをなしたのであろう。彼女の身体から抜け出し、逃げ去ろうとしている。
ギンッ! ガシッ!!
鎖が伸びきる金属音と、何かを握りしめる音が響く。
レイチェル君に憑りつく『人型』が逃げ去ろうとする男の霊の足を掴んで捕らえる。
「イヤダァ!イヤダァ!イヤダァァァァ!!!!」
『人型』に怯えて必死に藻掻く男の霊の悲鳴が響き渡る。男の霊は必死に逃げようと藻掻くがその手は宙をきり、どこにも掴まる事はできない。男の霊は泣き喘ぎながらも叫び続ける。
ブチッ!!
唐突に肉が千切れるような音が響く。見ると男の霊の下半身が『人型』によって千切りとられ、その千切れた個所から、内臓がぽたぽたと落ちる。
「アァァァァァァァァ…」
男の霊は、最後の絶叫を響かせると、彼の上半身や『人型』が握る下半身、床に落ちた臓物がまるで湯気や煙のように粒子になって霧散していった。
残された『人型』は男の霊の下半身が消え去った掌を名残惜しそうに眺めている。
しかし、ゆっくりとその頭がこちらに向き直る。その顔には目も鼻も口も無い、ただ、蛆虫たちが這いずりまわる表面だけだ。
だが、その顔に一本の線が現れる。白い線だ。その白い線は『人型』の顔に笑顔を現すような口角をあげた口の線の様に見えた。そして、実際にそれは口であった。その白い線の幅が増えていく、やがて縁取りをしたように赤色も見えてくる。
全てが見えた時、私は全身から恐怖した。白いものは『人型』の巨大な歯であり、赤色は、『人型』の歯茎の肉の赤であった。
『喰われる!!!』
私がそう思った瞬間、『人型』の頭がガクンと揺れる。『人型』の首に付けられた鎖がピンと張り詰めて引かれているのだ。そして次の瞬間には、『人型』はまるで落とし穴でもはまったかのように、闇の沼へと鎖で引きずり込まれていき、最後にはその沼も底が抜けたように引いていく。
そして、最後に残ったのは、床に倒れているレイチェル君の姿だけであった。
私は今まで見た光景によって壁にへばりついたまま動けずにいた。『人型』が去った後の部屋は沈黙でみたされ、ただ、激しく脈打つ心臓の鼓動だけが聞こえていた。
私はしばらく状況を掴めずにいた。しかし、鼓動の音が聞こえる事で、生きている事だけは分かった。私はあの『人型』から生き延びる事が出来たのだ。
「うぅ…」
呆然としていた私に、床に倒れるレイチェル君の呻きが聞こえた。私はすぐに気を取り直し、まだ強張っていた身体をつかって彼女の元へ駆け寄る。
「レイチェル君! レイチェル君!! 無事か!?」
私はレイチェル君を抱き寄せ、その顔に声を掛ける。
「た、多分、大丈夫だと思う… 前の時もすぐに意識を取り戻したから…」
先程まで、私に縋りついて怯えていたリーフが私に声をかける。
「そうか…だが、ここに置いておく訳にもいかんな、一度戻ろう」
私はレイチェル君を抱えると、この部屋を後にした。
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