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第048話 事の顛末
今、私という存在が私を感じている事は、私は恐らく意識が覚醒しかかっているのであろう。以前のマルティナの時とは異なり、冷たくて硬い床の上ではなく、柔らかくて暖かいものの上に私は寝かされているようだ。
「レイチェル、大丈夫?」
ふと、私の意識にリーフの声が届く。その声で私は微睡に似たような感覚を覚えながらも意識を覚醒させる。
「レイチェル君、無事か…」
ディーバ先生の声も耳に届き、私の瞼は開き始める。すると、私の顔に何かの影が掛かっているのが分かる。その影は先生の顔のようだ。先生の顔は私に懺悔し祈るような表情をしている。
「先生…」
私はその先生の顔に口を開く。
「レイチェル君、本当に済まなかった… 教師として大人として、君のことを護ると言っておきながら、私は君に近づく事すら出来なかった…」
あぁ…あの時の事かと思い出す。あの時、私は突然の嫌悪感と力を吸われるような倦怠感に苛まれ、立つどころか、意識を保つことすら出来なくなっていた。その時の私が見た先生の姿は怯えた姿であった。
魔法も精霊も存在する世界で、この国の最高学府の教師であるディーバ先生すら、私に憑りつく『アイツ』には恐怖するという事なのだ。それほどまでに私に憑りつく『アイツ』は恐ろしい存在なのであろう。
私は自嘲し起き上がる。どうやら先生の部屋のソファーに寝かされていたようだ。
「思う存分笑ってくれ…私は笑われて当然の事をしてしまったのだ…」
先生がそんな私の姿を見て、項垂れる様に頭を下げる。
「いえ、先生の事を笑ったわけではないのです。先生程の方でも、どうしようもないものが私に憑りついているのだなと呆れまして…」
私は、『アイツ』の凄さに呆れているのか、それとも自分の置かれた運命に呆れているのかどちらなのであろう…
「レイチェル君、本当に済まなかった。今回の除霊は行うべきではなかった。いや、あれを利用しようとは考えてはいけなかったのだと思う」
「先生…」
私は先生に向き直る。
「あれは人間が操れるような、容易い存在ではなかった。いや、命持つものが近づいてよい存在では無かったのだ…」
「先生…私が眠っている間に何があったのですか?」
先生のあまりにも後悔し猛省している姿に、何があったのかを尋ねる。
「霊とは言わば、人の肉体から離れた魂だ。人の肉体には死が訪れても、魂だけは不滅の存在であると今までは思っていた…しかし…アイツは…アイツは…魂すらも殺すことが出来る存在なのだ!!」
先生の感じていた恐怖は、『アイツ』の存在の大きさや禍々しさもあるだろうが、本当に恐ろしく思っていたのは、不滅と思われていた魂すら殺せる存在だと知った事なのか…
「魂と言う存在は、死後、人格を保っているうちは、生前の感覚に囚われ、肉体的な特徴や感覚を多く残している。今回の少女に憑りついていた男の霊は、ほぼ肉体と同等の感覚を保持していたであろう… その霊をアイツは私の目の前で引き千切ったのだ!」
先生は言わば、霊の殺人現場を目撃したようなものなのか。
「そ、その…霊の死体とかは残るのですか…?」
「いや…すぐに霧散した… しかし、あの時は残った方が良かっただろう…」
「ど、どうして?」
「アイツは死体が消えた掌を残念そうに眺めていたのだ… 恐らく喰うつもりだったのだろう。そして、満たされぬ食欲を満たす為に、私の方に向き直って、笑ったんだよ…ここに獲物が残っていると言わんばかりに…」
先生はその時の事を再び思い出したのか、顔が青ざめていく。
「大丈夫だったのですか!?」
「あぁ、大丈夫だったから、私は今、ここに居られるのだよ」
先生は蒼い顔をしながらもふふっと笑う。
「では、どのようにして助かったのですか? まさか、除霊対象の少女を!?」
「いや、違う。引きずり込まれたんだよ…アイツに繋がれた鎖によって君の中に…」
分かってはいるが、私の中に『アイツ』がいると思うと寒気が走り、私は自分の肩を抱きしめる。
「とりあえずは、『アイツ』が鎖で引きずり込まれた事で、助かったのですね…」
「そうだ、それは君の意思だったのか?」
「いえ、私には分かりません…」
よく考えると、『アイツ』は私に憑りついていると言うのに、私自身はあまり『アイツ』の事を良く知らないのではないかと思う。しかし、先生の話によると、『アイツ』は私と繋がれた鎖によって拘束されているものと思われる。
以前、玲子時代の時に、『見える』人間であったトモコは、私と『アイツ』の関係を冬虫夏草と言っていた。しかし、先生の話では、私は『アイツ』を拘束するための人柱ではないかと考える。
「しかし、私にも分からないのですが、鎖は誰が、何のために付けたのでしょうね…」
「分からない、調べようにも危険すぎる… ただ…」
「なんでしょう?」
「アレを繋ぎ止めておく鎖が切れたら、恐ろしい事になる事は分かる…」
そして、私と先生の間に深い沈黙が訪れる。これではほとんど何も分からないのと同じことだ。
「それで、結局、あの少女は助かったのですか?」
私は重い空気を払うために、少女の事へと話題を変える。
「あぁ、無事だ。色々と想定外の事はあったが除霊も出来ている。今は私の部下に看病をさせている所だ」
「そうですか、彼女が救われたのであれば、今回の件は上手くいったと思いましょう…」
「そうだな…」
「それで、今回の一件はまとめるとどんな話だったのですか?」
私は異教徒なので通常の除霊は行えないとは聞いていたが、それ以上の話は聞いていなかった。すでに私も関係者であり、功労者でもあるので、話の詳細を聞く権利はあるだろう。
「あぁ、そうだな、被害者の少女は隣国ジュディトから留学に来た王族の第1王女で、彼女に憑りついた霊のもの人物が、同じく隣国のロトーミからのこれまた王族の第7王子だった。その二か国は敵国同士で、いがみ合っているが、ロトーミの王子が彼女に一目ぼれしたのが始まりだった」
なんだか、どこかで聞いたことがあるような話だ。
「二人は敵国同士だったから結ばれることがなかったのですか?」
「いや、王子の片思いのようだ。仮に両想いであっても、敵国同士。しかも王女の方は一人娘で、王子の方は信仰上の理由で婿養子になる事は出来ない。なので、当てつけがましく、彼女の部屋の前で自殺し、そのまま憑りついたそうだ」
「なんとも言えない話ですね…しかし、外交問題にはならなかったのですか?」
こんな話の為に私と先生は苦労したのか…
「うむ、元々、王子の国の方でも、王子の事に手を焼いていたそうで、それでこの国に言わば追放のように送られてきたそうだ。なので幸いな事に外交問題とはならなかった」
「…本国でも邪魔者扱いされていた人なんですね…」
「そうだな、傍目に見ても王女と到底、釣り合う人物には見えなかったからな」
まぁ、当てつけで自殺して祟るような人物なので、相当程度が低かったのであろう。
こうして、事情を聞いて用事が無くなった私は自室に帰る事となった。
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